テーマ:サラウンド87年からの取り組み
講師:Mick Sawaguchi 沢口真生
沢口:1985年位からサラウンドに取り組んでいますが、ちょうど2003年12月に愛宕山の放送博物館でTV放送50周年記念として放送のサラウンドの歴史について話す機会がありましたので、それを要約して今回はお話します。サラウンドというと特に5.1chサラウンドから入った人が多いので、その前にどういう道のりがあったのかを踏まえて話していきます。
サラウンドの歩み
1 最初80年代にアナログ方式でマトリックスをかけたもの。放送のところで言うドルビーサラウンドと言う方式からスタートしました。これは、LchとRch/Cch/モノのSchという4チャンネル出力をエンコーダーを通してLt/Rtの2チャンネルにして記録伝送し、受信側はそれをドルビーデコーダーで4チャンネルに戻して再生すという方法です。
2 90年代ではハイビジョンの実験放送が始まりLとRとCとモノのSという4チャンネルディスクリート方式が開始。これは、マトリックスではなくそれぞれ独立した4チャンネルが放送できます。
3 2000年代に入りますと3-1方式の4チャンネルでなく後ろもステレオになった3-2方式になりました。ここでようやく我々が表現できる場になったかなと(3-1のときはちょっときつかったかなという)。
4 5.1CH方式、この3-2方式にLFEと呼ばれる重低音専用のチャンネル(これは、0.1CH分に相当)がくっついてきまして現在言われる5.1チャンネルサラウンドとなったわけです。 じゃあ、その次があるのかということで映画界や次世代放送といったところでは、どうやって5.1チャンネルと差別化しようかという取り組みが始まったところです。
制作スタジオの構築
サラウンドを作ろうぜと、それにはまず場所が必要だということで。96年から工事に入りまして97年に完成。たいへん歴史に残るCD-809というサラウンド対応のポストプロダクションスタジオが完成しました。これはたぶん放送業界では始めてサラウンドに対応したポストプロダクション。その第一作が、後で聞いていただきますが、宮崎駿さん原作の「シュナの旅(アドベンチャーシュナ)」初めてのドルビーサラウンド。この後、NHKだけでなく、特に関西の毎日放送、関西テレビ、読売、朝日放送と言った、関西のテレビ局が88、89から2000年くらいまで大変精力的に色んなドルビーサラウンドで制作をしました。この努力は東京キー局に比べすごいエネルギーだったなと、今でも私は感じます。ようやく、そのエネルギーが2004年くらいから関西でも戻って次世代の若い人たちがまたもう一度動き始めたことは大変うれしいことです。
90年代に入りますとハイビジョンのアナログの実験放送が始まりまして、ミューズという方式なんですが、それで、じゃあハイビンジョン大画面にふさわしいダビングステージを作ろうぜと、渋谷に初めての3-2対応のサラウンドができるダビングステージが完成。これが92年。ハイビジョン大画面とサラウンドができるようになったことで放送と映画の垣根が低くなったことになります。ここらへんまでやって我々が分かったのはサラウンドに適したコントロールルームの音響設計がどうもないなあと言うこと。そこで日本の色んな分野の人が約50人くらい集まり、ハイビジョンのMSSG(マルチチャンネルサウンドスタディグループ)サラウンドにふさわしい小規模スタジオと中規模スタジオ、の音響設計ガイドラインを作ろうと92年から95年まで色んな調査、実験をやりました。これは放送文化基金から助成をいただいて座長は神奈川工科大学の吉川先生事務局は我々が担当しました。ここでの調査研究は今日に大変生かされている感じがします。
90年の後半になると3-2で音楽を作っていこうというエンジニアが登場しその代表例が、スーパーコンサートです。これが深田さんの「深田ツリー」を開発する元になった記念すべき番組です。業界関係では日本オーディオ協会が次世代のオーディオを研究しようとアドバンスドデジタルオーディオ研究会が発足し主にオーディオメーカー主導の研究会が発足しました。 96年から98年くらいまで色んな調査研究をしたんですけれども。その中のひとつにマルチチャンネルワーキンググループというのがありまして。当時、私と今ドイツにいっている高橋さんが、主査と副主査で音楽業界のマルチチャンネルサラウンドを、今後どうやって進めていくか調査研究しました。
2000年になりますと、いよいよ2000年の12月に衛星のデジタル放送BS-DがAACという方式で始まりました。放送メディアが本格的にいろんなサラウンド放送が可能となったわけです。2000年にはAESという世界的な団体でも第一回目のサラウンドだけにテーマを絞ったコンファレンスをドイツで行われました。2003年の12月、地上波デジタル開始。一方10月にはデジタルラジオ。2000年以降、結構デジタルのメリットを生かしたサラウンドの制作もこれで弾みがつくんじゃないかなという手応えがあります。
各サラウンド方式のメリット・デメリット
今お話したアナログのマトリックス・ディスクリート3-1・そして現在の5.1チャンネルという三つの流れの中でそれぞれどんな特長があったのかということを述べておきます。まずは、アナログマトリックス。どうしても、4.2.4という、エンコード、デコードがありますので、レベルのチェックをシビアにしないと音がめちゃくちゃになると。つまり、調整がちょっと大変でしたね。だいたいミックスが始まる午前中はこのセットアップで時間が費やされる・・・ 。もうひとつは、エンコード、デコードするときに、このドルビーの方式はサラウンドの成分っていうのは逆相にして入れるんですね。ですからもともとその成分が入ってますとエンコード・デコードは勝手にサラウンドだと機械のほうが判断してしまいます。我々がこの音はサラウンドに入れたくないなと言うような音でも、逆相成分が入っている音だとサラウンドにいっちゃうんですよ。ま、コントロールができない方式だというので業界では「マジックサラウンド」といってましたけれども。僕たちがこの音はセンターだけにしたいんだと思っても逆相の成分が入っているとバーと広がってしまう。で、非常にピンポイント的に音を作っていくには、この手順ではたいへん難しい課題のひとつでした。それからどうしてもエンコードデコードというプロセスが入りますので、(四つの出力を無理矢理二つに押し込んでまた四つに戻すという理屈なんだけど)、やっぱり理屈通りには行かない。クロストークが各チャンネルに出てくる、そのためにそれを見かけ上抑えるためにプロロジックという一種のいわゆるゲートのようなのが入っていまして。一番レベルの大きいところ意外は抑えちゃうというようなロジック回路。そういうのが入っていると音がこうちゃんとデザインしてあげないと音がばたばたしてしまう。いわば音場が出る音によって不安定になってしまうわけです。このアナログのときの大きな悩み。それをどうやってコントロールしていくかは当時の大きなノウハウでした。ここら辺一番よくノウハウを使っていたのはさすがにこのドルビーサラウンドの歴史の長いハリウッドでしたね。たとえばLRの音場を狭めるとあまりばたつかないとかですね。LとRに広げるときに、30から50ミリくらいのディレイを入れると、ロジック回路がきかなくなるので、広がった音になるとか。そうやっていかにロジック回路の機能を殺すかと言うノウハウを色んなところに身につけてきましたね。だから本当は余計な回路だったかもしれませんね(笑) ま、こういうところがあの特徴だったんですね。
続いて90年代の独立した3-1サラウンド。寿命は短かったんですけれども。これはなんといってもリアがモノラルと言うことで、ま映画館みたいに広くてモノラルだけど分散配置で一見擬似的に広がっている状況だといいんですけれども。スタジオとかここくらいの広さでリアがモノですとどうしても広がった感じがしない。違和感を感じるわけです。特に音楽ライブの放送とかハイビジョンの実験放送でやっていた場合拍手がモノだと上に上がって聴こえるんですよ。ぴゅーとこのへんに上に上がって、演奏が終わると拍手がくるじゃないですか、そうすると拍手が天井に固まって聴こえるんですよ。これは音楽の連中たちは嫌だなーってね。何とかならないかっていってましたね。これはやっぱり後ろをステレオにするのがいいよねと。ドラマでは意外とそんなに変じゃないなと言う感じだったんですけれども。音楽ですね。それでサラウンドはいやだよって当時いった人も結構いたんですね。それは今言ったライブの拍手。
それで今日の一般的な3-2と5.1チャンネルサラウンドです。ここも初期の課題はモニターレベルをどのくらいならいいのかって言うところが一番の悩みでした。ま、映画の業界はその基準を85dbと規定していました。放送では、ドラマもスポーツも音楽もいろんなことがあるときにコントロールの最適モニターレベルをどのくらいにしていいのって言うのはかなり手探りの状態で最初は85でみんなやったんですけれども部屋中馬鹿でか音になって、こりゃだめだってことになって、何とかいいレベルはないかって。LFEも映画の業界はフルバンドでメインチャンネルより4dBくらい高めがいいよって言われているんだけど。本当に放送の色んなジャンル、それから音楽もそうだと思うんだけど、それでいいのかっていう、我々も実験中です。それから5.1チャンネルでやったミックスをステレオでも違和感なく聴いていただくために、どういうダウンミックスがいいのか、これもようやく一定の結論ができました。 今後のところで言うとサラウンドに対応したエフェクターが充実してくれるといいなって。
以上が大きな三つの流れとそれぞれの特徴ということです。
写真でみる歴史
先ほどお話をした80年代半ばからの取り組みを写真で見るとどうかと言うのを味わっていただきたい。まあ、放送の立場で言うと80年半ばは実験の時代ですね。バラックセットで色んな試行をやった。86年くらいから809というポストプロダクションのスタジオができましたので、ここでスタジオ制作ができるようになりフォーマットはアナログのドルビーマトリックスでやっていたというわけです。これは記念すべき85年の。これはまだステレオのポストプロダクションなんですけれども、CD-807と言う、ここでハイビジョンの「秋・京都」と言う番組をサラウンドで取り組みました。当時ハイビジョンVTRは音声トラックが2チャンしかないんですよ。でもサラウンドでやりたいと。じゃあドルビーサラウンドでやろうよ。と言うことになりまして。見てお分かりのとおりBOSEの101と言う小さいスピーカーが後ろに四本くらい立っていますよね。こうやってまったくの仮設でやった時代です。 これは札幌でやっていたドルビーサラウンドの収録風景。これはスタジオの中にコンソールから再生機まであらゆる物を仮設に組み上げてやっていたと言う。熱意がないと誰もやらないですね。これは組み上げるだけで2,3日はかかりますね。大変な努力です。
これは記念すべき86年からのCD-809と言うスタジオに導入した国産で始めての3-1対応48トラックの大型の新コンソールをタムラ製作所で完成したときのスタッフ一同記念すべき写真です。当時85年にポスプロを作ろうと我々はサラウンド対応のポスプロを作らせてくださいと言う企画書を出したのですが、上層部は放送にサラウンドとは何を考えているんだと我々はステレオで十分だと言われ、その説得に約一年半。ようやくじゃあやってみてもいいぞとなって、じゃあ卓はどうしようかと。実は卓がないんですね。NEVE社にオファーしてこう言う仕様でやってくれないかと交渉したら我が社はステレオに対応したコンソールで十分だからそんなのに取り合う暇がないと言われましてね。じゃあタムラとやるかと。ぼくは今でもNEVEの連中に会うと当時の話をすると、いやあごめんごめん当時は俺たちの読みが浅かった4チャンネルでの失敗にこりていたからと言いますよ。
さっき言ったドルビーのエンコーダデコーダがこの写真です。この下にあるエンコーダーが初期のタイプでVE-3。この上にあるのがデコーダで、エンコーダーとペアになっていてこれが入力ですね。4つ入力。LRCS。エンコードしてこれがアウト。これがLトータルRトータルの2チャンネル出力となるわけです。音声トラックが2チャンネルある機材であれば、3-1のサラウンドができる。さきほどマルチチャンネルMSSD研究会のところで、サラウンド対応の音響設計指針を出しましょうというきっかけになったのはこの写真を見てお分かりのように809と言うサラウンド対応のスタジオを作ったんですけれども、当時の音響設ではステレオの音響設計の概念は分かっていたんですけれども、サラウンドになるとステレオの音響設計と何が違うんだと言うのがよく分からなかったんですね。と、言うことでこのスタジオは、この前面が堅いアピトン合板でできているんですよ。言ってみれば全面硬い壁ですよね。それでリアにサラウンドのスピーカーがいっぱいくっついているんです。「シュナの旅」とかサラウンドの制作を始めたら、リアの音がばんばん反射してですね、ちょうどミキサー席で全部がぐちゃぐちゃに混じって、何の音を聴いているか分かんないやってなってね。サラウンドになったらデザインももう一度やり直しをしないといけないと実感したわけです。その後翌年にCD-604と言うサラウンド対応のミックスダウンのスタジオを作ったんですけれども、この時にはですね、前年の反省を踏まえて、フロントの材質は、これみんなフカフカなんですよ。 後ろがみんなフカフカで、ほとんど全面吸音と言うタイプ。後ろはまだ3-1だったんで、後ろについては木のブロックを埋め込んで見かけ上拡散という形。どうやればいいかをなんとなくつかんだのがこのスタジオですね。
これは中継でドルビーサラウンドで大相撲を放送した時の国技館。大相撲は伝統的にファンタムセンターで。まあセッティングが楽だっていうのもあったんでしょうね。マイキングには大変入念な調査をして決めたと担当のミキサーは言っていました。これは当時聴いていても非常に繋がりがよかったですね。後ろがモノなんですけれども、非常につながりのいいアンビエンスがあって私も感心しました。
これは92年ハイビジョン専用のサラウンド音声ポストプロダクションスタジオです。ハイビジョン大画面をやりながら、なおかつ3-2のサラウンドをやろうと言う。これも上層部に「何で放送屋がこんな映画館みたいにするんだ」とけんけんがくがくに言われ、「いやぁもう勉強のために絶対いるんですよ」といって作ったのがこのスタジオで。このスクリーンが160インチでスチュアートと共同開発した音響透過スクリーンです。これが非常に高域のロスが少ない音響効果型のスクリーンで現在映画界でも使われています。ここに導入したのは、AMS社のロジック2フルデジタル。ロジック2は今までポータブルの小型のしか作ったことがなくて、こんな大型の馬鹿でかいのなんて初めてだったんですね。大型のダビングステージ用のをここではじめて入れてここで何年と言う長い間、われわれが毎日悲惨なバグを出して、その結果いまハリウッドのコンソールのバグはここでほとんど出している。我々がこうやったらいいよと言う色んなノウハウを言ってDFCというコンソールに反映されています。だからハリウッドはわれわれにかりがある(笑)。
93年にはこの勢いで807スタジオをサラウンド化しました。一番最初にスナップで出た「秋、京都」を制作していたスタジオがこういうモダンなスタジオに生まれ変わった。
95年に今度はクラシックのオーケストラ録音スタジオCR-509がサラウンド更新しました。初めて音楽の3-2のサラウンドを完成した。ここは深田さんが作った第一号スタジオです。98年にはラジオドラマのミックスダウンスタジオがサラウンド更新しました。ここはフェアライト3式をネットワークで結ぶという非常にコンパクトですけれども、よいミックスダウン環境です。ここで初めて音響的にはなんとか気に入った音になったなあ、僕も思い入れが深いスタジオです。音を聴いたとき非常にナチュラル。モニタ-スピーカーの背後ろのほうも贅沢なくらいゆとりを持ちましたので、非常にまとまりがよくなっている。これは深田ちゃんの二作目のスタジオでCR-506です。これが98年。卓は同じAMEK 9600このときから通常のマルチトラックのレコーディングコンソールのように、録音用とモニター用がインラインで入ってきている。残念ながら今は製造中止になっている。
これも記念すべきスナップで2003年完成のNHKホールコントロールルームです。NHKホールで長年サラウンドの放送をやってきたんだけれども、え、こんなところで大丈夫だったのというかなり俗悪な環境でサラウンドはここから放送されていたんです。それまで本当にこんなバラックでやってたんですね。これが三年計画で新装されたのですね。二卓構成でここはSSLのピュアアナログコンソールを入れている。ここは深田さんの執念ですけれども。彼曰く、今後のデジタルのフォーマットはどうなるか分からんと言うことで何が来てもいいように卓はピュアアナログにしておこうというふうに。
同じく一番最初に出ました86年にはじめて作ったサラウンド用のダビングスタジオCD-809ですけれども。ここも長い歴史が2003年の11月に改装になりました。スウェーデン放送協会の中継車。敵は何でもでかい。この一番後ろぐらいがミキシングのエリアになっていまして、その中にこんな風にちゃんとなってまして。こういうところはすばらしいですね。
これはドイツバイエルン放送協会それからWDRでここのラジオドラマを作るサラウンド対応スタジオです。ここはカンタスというデジタルコンソール、こちらはスチューダ950-D。WDRは、今年の9月くらいからサラウンドの番組を放送する体制が整っている。ここの仕掛けで面白いのですはね、あの2チャンのスピーカーとサラウンドでやるスピーカが別々に設置されていまして、ボタンひとつでビーっと下がって入れ替わる仕掛けがあるんです。
まあそういうわけで歴史をざっとやりましたけど。 次に歴史の流れに沿っていくつか音を聞いてみましょう
最後に今の課題をいくつか・・・
1 大画面になった場合の映像と音声のリップシンクの検討
2 LFEはいつもいるか?
2 POPSのサラウンドに挑戦-ここが発展のキ-ポイントだと思ってます
どうもありがとうございました!(了)
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