2008年7月20日 三鷹 沢口スタジオにて
テーマ:ドキュメンタリーサラウンド音響表現
〜サウンドスケープスの音場表現とサウンドコラージュの考え方〜
講師:宮川亮(NSL)


はじめに
沢口:暑い中こんなに大勢集まっていただきありがとうございます。 立ち見がでるのは、ジョージ・マッセンバーグが来て以来ですね。 7月の寺子屋は、NSLの宮川さんが講師役です。BS-iやTBS地上波デジタルで放送されたドキュメンタリー番組「世界自然遺産」の音響効果を注意深く聞くと、大変緻密な音響デザインがサラウンドで構築されていることにお気づきだと思います。これらはどういった考え方を基本にしているのかを今回は実例を交えてお話していただこうと思います。では宮川さん、17時までたっぷりお願いします。
宮川:NSLの宮川です。よろしくお願いします。 私は普段選曲の仕事をしていまして、サラウンドに関して言うと選曲感覚でサラウンドのデザインをやってます。本日は、学生の方も参加しているので選曲?とはどんな仕事をしているのかをまず紹介しておきましょう。選曲とは、ある作品や番組のなかで最も効果的な音楽素材をCDライブラリーなどから選び、それを映像の流れや長さに合わせて編集制作することをいいます。 いわばクラブDJのサンプリングと似たCDによる作曲とでもいえばいいかと思います。 最初に私の基本をお話します。これはサラウンドに限ったわけでなく仕事をする際の共通の考え方として私が実行している方法です。

基本的な考え方その1:サウンドマークとは? 実例とともに私がサラウンドだけではなくテレビ作品を制作する時は、サウンドコラージュという手法を使います。
・テレビの映像がランドスケープだとすれば、 映像を綺麗に見せる為や良い映像を見せる→美しいランドマークが必要。
・同様にテレビの音声も音風景と捉えて、 良いサウンドスケープを創る→その為には良いサウンドマークを置いていく。
というのが私の基本です。 サウンドマークとは、作品のなかで音が占める役割と効果のすべてを意味しています。これはナレーションであり、音楽であり、効果音であり、表現する為の音全てということで、これを 家庭で観ればテレビの音がサウンドマークになるということになります。 世界遺産という番組のロレンツ国立公園編は、ここにいらっしゃいます土方さんがフィールドワークでサラウンド録音し(第51回寺子屋参照)、音響効果を私が担当しています。まずこれを聞いていただき,その後私のアプローチをお話します。 今回はサウンドコラージュが分かりやすい1回目の方を出したいと思います。 音に意味合いを付けているので、自分が聴こうとする耳の方向性に注意して聴いてください。 素材は全てステレオで、業務用のライブラリー音源とLogicProのシンセを使いながらイメージを構築していきます。いわば、音楽でも無いし、効果音でも無いサラウンドのコラージュという意味合いですね。
世界遺産ロレンツ国立公園編デモ

宮川:やはり我々選曲家はどうしても、映像に合わせた音楽やナレーション、効果音を付けがちですが、 例えば日本家屋なら和風なものとか、そういう短絡的な表現をしたくないというのが基にあり、 音楽も効果音もナレーションもそれから映像も表現の方向さえ同じであれば、多少不協が出たとしてもそれは1つの和音に成る、という仮定の下に今のコラージュをやっています。 例えば暗いものを表現しようとした時に、前のシーンを明るい音で表現しておきながら暗いシーンでは暗い音を付けずにそのまま画面の性格だけで暗さを表す。 要は聞き手がその方向性を感じる様に、という風にやっているのが私のやり方です。
基本的な考え方その2:耳線とは 我々は音を作る時に定位で色々なものを置きますけど、観ている人は必ずそこに耳の注意が行くかと言うとそうでもありません。 目線と耳で聴くというのは結構一体感がありまして、その耳線という考え方を基にやってます。

・観ている人が聴こうとする方向性、音楽とか音の性格性で耳線は動く。
・前の音も聴きながら横の音も聴いているという意味で耳線は1本ではない。
・サウンドマークを耳線の先に置くことで、音の性格を利用して聴いている人間の心理をコントロールする。
聴く側の聴こうという力を利用して見せている、というのが私の考え方です。 ノイズの中から聞きたい音を探すというカクテルパーティ効果(様々な音圧レベルの複数の音が存在する状況下で、低い音圧レベルの音を鮮明に認知する聴覚効果)はご存知かと思いますが、 人間の耳というのはそういうことに長けていますので、 その感覚を使わない手はないということでこういうコラージュをします。
基本的な考え方その3:耳線と定位と時間 ・耳線が定位として一定な所にあると心理的に安心する→長い時間その状態で音を聴いていると、どんな広がりのある音でも慣れてしまう。
・耳線が変化していると、どこを聴いてよいのか分からない不安感→ただしそれは新鮮味をもっていると言える。 第1項でのべた音の様々な要素「サウンドマーク」を色々な所に置いていくことで聞き手の耳線をコントロールし心理的な効果を生み出すやり方です。

基本的な考え方その4:要素を融合させて新たな表現にする コラージュだけで考えると難しい発想になってきますが、単純に選曲において1曲でいい曲があればその曲だけで済むんです。
・ディレクターの要求は「明るくて暗い曲無い?」「早いんだけどゆっくりな曲無い?」 →それを表現するのに選曲で音楽だけで表現するのはかなり難しい →明るい部分と暗い部分の成分を音楽から取り出して別々に付けて表現という発想がこのコラージュ。
・CD音源に、LogicPro内蔵のシンセのパッドを足す 例えば先ほどのデモの最後の所は、現地の人が騒いでいるキーに合わせたパッドを加えることで 文明の侵略という作品のテーマ性を表現しています。 普通、番組といえばナレーションが1番でBGMが2番目に、とかそういう考え方をします。 私のつける音楽の中にメロディがほとんど無い、それから、高い音と低い音がメインにある、というのは実はそこにミソがあります。
・メロディライン→ナレーションや同録音でいい。
・音域の中域→ナレーションや同録音 →ナレーションや同録音をボーカルと捉えたバックトラックを作っている。 そのバックトラックの中に効果音やCDからの音が楽器としてあるという捉え方です。
・サラウンドでのアプローチ ドキュメンタリーに関しては 全編サラウンドでやる必要は無い→サラウンドの音場の中にステレオがあって、ステレオの音場の中にはモノがある →常に後ろの音が鳴っているということよりも、サラウンド環境の中でモノやステレオやサラウンドをコントロールしていくことが大事。 最初の頃はフルサラウンドに拘ってしまうばかりに、その音を聴いている人間が慣れてしまうということにショックを感じていました。その経験の上に立って今はサラウンドだからといって全てサラウンドの音源にしないようにしています。
サラウンド音場の定位と感じ方〜主観音と客観音とは〜 このサウンドコラージュは非常にサラウンドに向いている手法だと思っています。
*フィールドワークでは確実にサラウンドで録音してくるということ。
→後々ステレオ素材をただ広げてコラージュをしても、臨場感という意味ではすごく嘘くさいものになる。
→逆に臨場感を出さずに異空間を表現するには、ステレオ素材でコラージュすると良い。
*演出の方向性と耳線の一致又は不一致という、音と映像とのマッチング。
*耳線の位置をコントロールする。
*サラウンドでの耳線の位置。
→音の位置が遠くに行けば行くほど客観的に感じる。 フロントは、真ん中のみ主観的に感じる。

このコントロールがサラウンドでは楽なのです。 例えば先行で暗い曲を後ろから客観的に出して主観の位置に持って行くとか、 いきなり主観の位置にモノローグを置いていくと、エコーも掛けずに主観の感覚が出るということなどです。ですから私の場合はこうした耳線とその配置で全体の音場(サウンドスケープ)がどういった役割をすればいいのかを考えながらサウンドをデザインしていきます。サウンドコラージュの制作機材 作業として、MAに関してはLogicProからEmagicのA3というオーディオインターフェイスを通して、アナログでメインに入れています。 LogicProのファイルフォーマットは44.1kHzの16bitです。 使用している音源は主に日音サウンズライブラリーです。 LogicProを使う利点として、MA現場ですぐ直せるという良さがあります。 LogicProのバージョンはLogicPro7ですがLogicPro8はサラウンドにさらに特化していますので、移行したいと思っています。
Q:音源は一度オーディオデータにしますか?
A:します。そのほうが加工しやすさがある為です。 作曲する場合は、打ち込み用に別にプロジェクトを作ります。
Q:44.1kHzで作業されているということですが、48kHzにリサンプリングしない理由は?
A:音源ライブラリが全て44.1kHzなので、44.1kHzでやって、MAでそうしてくれと言われればその段階でリサンプリングします。 CDがベースなのでどうしてもLow bitなやり方になります。最終的にMAはProToolsで行い、納品形態はD5(8trのハイビジョンVTR)です。

デモ素材からの解説

宮川:パッド(シンセサイザーの音色で、持続性で柔らかくて強く主張せず、背景や雰囲気を出すのに用いられる)が出てくるオープニングシーンをご覧ください。 定位が変わっているのが分かりますでしょうか。 リアルな音からいきなりイメージの音を持って行くために、モノラルのフロントから段々広がっている1つの音と、真後ろから鳴る1つの音とが途中で交差しています。 イメージ方向に行かせるために、前方の主観方向からと後方の客観方向からの音が混ざってきて、 センターの主観に音が溜まるという演出をしてみました。
・サラウンドだと主観の位置に音が行くことで、イメージシーンに持っていきやすい。
→ステレオではおそらく音の移動ではなくて、ナレーションで説明してしまうのが通常で、 サラウンドの場合は音の配置によって色々な意味が付くので心理的表現がしやすい。
音による心理のコントロール
宮川:耳線の動きで主観客観が変わるというシーンを出します。 デモ ・同録音がステレオのシーンは、リズムをリアよりに配置→前後で相関され、リスナーの気持ちが真ん中に来る 同シーンを音声だけでデモ ・リア寄りに音を配置したときに、エコーのリターンだけフロントに返し空間を作った。 自然破壊が表現されたシーンデモ ・自然破壊に話を持っていく為に、重低音 高音→緊張感、低音→不安感 ・工業的なイメージを出すため、金属的な音をリズムに。 ここに原住民の口琴の音を加えることで、自然破壊をしているというイメージを作り出しています。サラウンドが持っている、音の位置によって主観客観が変わってくることを利用した例です。
空撮シーンデモ
宮川: いつも空撮シーンでは「空撮っぽい音ください」と言われます(笑い) 浮遊感と広い音を混ぜ、そこにちょっとしたタッチをいれることで耳線が動き、 ナレーションに耳がいくようにしたシーンです。
世界遺産のサラウンド放送
2002年から始まり、2002年にBSの年間大賞をサラウンド放送でとりました。 このときはDAT2台を現場でカチンコで合わせていました。 翌2003年のモロッコ・マラケシュ編ではタムコさんにお願いし5ch録音をしましたが、 お蔵入りしてしまいました。 それ以降は土方さんなどに御尽力いただきまして、現場ではサラウンドで録音しています。 2008年7月28日にタイトルがTHE 世界遺産と変わってから初のサラウンド放送があります。

サラウンドプラスONE
宮川:デモ サラウンドプラスワンというライブをやってる方がいまして、私も考え方が少し似ています。 サラウンド音源に1つ違う音をプラスすることで立体の音風景において面白いものが出来るのではないか、という発想です。 サラウンドの音場で色々なことをする番組を、情報ドキュメンタリー番組で何か出来ないかと思いまして、こういうの出来ませんかと企画書を出し実際に撮ってつくったものがありまして、それを聴いてみていただこうと思います。 デモ 先程の世界遺産と考え方は全く同じで、もっと分かりやすくサラウンドの番組が創れないか、ということで提出したデモです。 もう1つ、これだと分からないからサラウンドというものはどういうものかをもっと分かりやすくしてくれ、と言われ、非常に分かりやすくしてみたのでそれも観てください。 デモ 宮川: これをプレゼンしたら、「非常に分かりやすいんだけど、スポンサー付いたらやってあげる。」と言われました(笑い) そのままお蔵に入っております。
沢口:たくさんのデモと解説をありがとうございました。では質問をお願いします。
Q&A
Q:スピーカの位置で主観客観という図の説明をもう少し詳しく聞きたいのですが。
A:私の考え方なんですが、音を聴こうという意識の主観と客観が図の位置で変わるということです。たとえば音楽番組を自分が歌っているように気分で聴く人はいませんが、 ヘッドフォンステレオで聴けば自分で歌っている気になりますね?
Q:ハードセンターに関しては距離に関係なく主観ということですか?
A:主観の部分が多いという発想です。なぜかというと、目線に引っ張られるんです。 映像があるので、目線に引っ張られて一緒にそこを見ている気持ちになるということです。 客観の四隅に音があったとすると、足して割って真ん中に来ます。すると主観になると。 前だけにすると客観で物を見れるかなと、そういう使い分けをしています。
デモ
宮川: 足してる音を前後に配置し分けて、ナレーションの意味合いの主観客観を分けているつもりです。 モノやステレオやサラウンドや移動を使い、見ている人に何となくそうなのかなと感じてもらえるかなと。何となくっていうのは人間の深層心理に残ることですから、そういうギミックを使っています。
Q:音と効果の引き出しと、発想がなければなりませんね。
A:そうです、それでイメージがあっても音が無ければどうにもならないので。 私は選曲がメインだったので、選曲のほうから発生した今のコラージュの仕方という部分です。
Q:フロントLCRだけの場合は、客観という位置づけですか?
A:センター成分の音があれば主観になりうるということです。
Q:リアLRは?
A:客観になります。しかしリアは前の意識から主観の位置まで耳線をひっぱる補足にもなります。
Q:おすすめのライブラリ音源はありますか?
A:日音サウンズライブラリ以外には、自分で気に入ったものだけ買っています。 ただ、ライブラリ音源だけだとなんか足りないなと感じることが多いので、こういう混ぜ方をしています。
Q:作業の準備をするとき尺に当てはめていく時に楽譜とかを用意するのですか?
A:ありません。打ち合わせをして全体の構造からイメージが出てくるんです。 それを頭から順番にやっていくという感じです。 譜面はありませんが、台本ですね。ナレーション原稿なり構成原稿なりです。
Q:この作品を作るにあったって、一言で何を求めてやっていますか?
A:環境破壊です。ラストカットにあったようにああいう場所にも開発の手が入っているということが、音で言いたかったということです。監督はそう言ってなかったですけどね。 ディレクターが現地に行ったイメージで作ってきますけども、我々はそれをはじめて見てどう感じるのか。そこが自分として個性の出しどころです。
Q:宮川さんの選曲という仕事の領域とは?
A:単純に言いって音響効果なんですよ。 ただ音楽を付けるだけではクリエイティブじゃないですか!なので今の手法でやっているということです。
Q:最後のMAでは音量バランスだけですか?
A:そうです。がディレクターと合わなければ「もう一日ください」と。
Q:コラージュをつくられる際に、ナレーションは入っていますか? A:ありません。ナレーション原稿も無い場合もあります。 Q:映像は出来上がった状態ですか?
A:映像はありますが、スーパーはりません。QuickTimeでLogicProに貼付け作業します。
Q:作業時間はどれくらいですか?
A:3日でのべ36時間程度です。3日やってすべて終わってから家に帰ってますから。(一同笑い)
Q:ステレオでの作業と時間の違いは?
A:逆にサラウンドのほうが早いですね。落としどころがいろいろありますので。
Q:それをダウンミックスした時のことは?
A:実は一切考えていません。ダウンミックスに関してはミキサーに一任してしまいます。
Q:音源のライブラリはデータベース化されてますか?
A:しています。ファイルメーカーで手作りです。キーワード検索はできます。
宮川: 私は関係者にサラウンド制作をプレゼンするたびに、「サラウンドにして何が変わるの?」「数字がよくなるの?」 「売り上げあがるの?」って言う話になってくるんですよ。 しかしサラウンドという新たな分野は、少しでもいいからやらないとノウハウの構築はできないんですよ。 次世代の方達がサラウンドありきで発想してほしいという気持ちです。 サラウンドにすることでちょこっとした表現も面白くなるし、変わっていくっていうことをみんなで啓蒙していきたいということが言いたくて、今回講師を受けました。 (一同拍手)

先ほどのプレゼンした映像のときも、企画から音の人間が動いているので、音の発想から制作まで全部話が出来るということなんです。普段、制作が「こういう番組作りました」って来たときにそこでサラウンドやろうって言っても遅いじゃないですか。 小っちゃいことからサラウンドをやらないといけないと思っています。 では、特別編で、お蔵入りになった世界遺産幻のマラケシュ編というのがありますので、 そちらもご覧ください。
世界遺産マラケシュ旧市街編デモ
宮川: 手探りの頃なのでほんとにわからない状態でお蔵に入ってしまう意味もなんとなくわかってしまいます。(一同笑い) 私から以上で終わらせていただきます、ありがとうございました。(拍手)
沢口:宮川さん、実際のデモ交えての詳しい解説をありがとうございました。
[ 関連リンク ]
世界遺産:ロレンツ国立公園 I(インドネシア)
世界遺産:ロレンツ国立公園 II(インドネシア)
THE 世界遺産
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