January 29, 2022

第83回アカデミー音響編集賞受賞「Inception」のサウンド・デザイン


                         Mick Sawaguchi 沢口音楽工房

                             UNAMAS-Label・サラウンド寺子屋塾主宰


はじめに

クリストファー・ノーラン監督とチームを組むアクション音響が得意なリチャード・キングがサウンド・デザインを担当したSFサスペンスです。素晴らしいVFX映像とともにリチャード・キングが得意とする爆発やガン・ショットといった音響効果そして全体の85.4%を占めるハンス・ティマーの音楽で構成されている2時間28分の大作です。前半はリチャード・キング得意の低域成分を使った音響効果音が活躍し、後半は、ほぼスコアリング音楽で埋め尽くすという手法は、2017年でアカデミー音響編集賞を受賞した同じチームのDunkirkに引き継がれています。


1 制作スタッフ


Director: Christopher Nolan

Japan Filming Producer: Kanjirô Sakura Yoshikuni Taki

Sound Design: Richard King James P. Lay

Final Mix: Gary A. Rizzo Lora Hirschberg at Warner Bross Studio 10

Music: Hans Zimmer

Ambient music designer: Mel Wesson

Music Mix: Alan Meyerson at Remote Control Productions

Score recorded at Air Lyndhurst Studios 

Foley Artist: Alyson Dee Moore John Roesch

Production Sound: Ed Novick

Sound Recordist: Karym Ronda



 2 ストーリーと主要登場人物

「エクストラクト」という夢の中に入って情報を抜き出す産業スパイとして仕事をするドム・コブとそのチーム5人が企業家サイトーの依頼を受けて競争相手の企業の会長と後継となる息子の潜在意識の中にこちらが意図する意識を植え付けるインセプションという犯罪を縦軸に主人公ドムと自殺した妻モル、故郷に残した2人の子供との生活を希求する彼の家族愛が横軸となりVFXを駆使した映像とダイナミックなサウンド・デザインが展開します。

現実と潜在意識の世界を往来し現実に戻るきっかけはキックと呼ばれここではエディット・ピアフの名曲『水に流して』が効果的に使われます。



 3 起承転結毎の特徴的なサウンド・デザイン

3−1起 00h00m00sec-00h21m35sec

企業家サイトーからドムは、病気である競争相手モーリス・フィッシャーが経営する企業を破滅させるため、モーリスの息子で後継者であるロバート・フィッシャーに父親の会社を解体させるアイディアを植え付けるインセプションを依頼されます。サイトーは、見返りとして、ドム・コブの妻への殺人容疑を取り消しアメリカへ再入国し娘と息子が待つ家に戻れるよう影響力を行使することを提案します。  


● タイトル後のイントロで紹介される海の波音デザイン

コブが波の打ち寄せる海岸で目覚めるシーンです。様々な波音が組み合わされて広さと奥行きを作っています。ステレオとモノーラルの波音素材を使った典型的なハリウッド・デザイン例と言えます。


● 夢からコブを目覚めさせるため浴槽へ落下させたスローモーション

スローモーション映像でアクションを強調する手法は、サム・ペキンパー監督の得意な映像表現で「ワイルド・バンチ」のラストシーンが典型と言え監督のC.ノーランも、スローモーション映像を効果的に随所で使用しています。ここでは浴槽へ落下するコブの水音と軋み、それに連動した夢の中のサイトーの屋敷に流入する全面サラウンドの水音が有機的にデザインされています。


3−2承  00h21m35sec-01h00m26sec

インセプション実行チームを結成するためドム・コブは、パリで恩師であり亡き妻モル・コブの父でもあるマイルス教授から優秀な設計師としてアリアドネを紹介されます。次に「偽造師」イームス、強力な鎮静薬を調合する「調合師」ユスフ、そしてコンビを組んでいるアーサー、それに依頼主のサイトーでチームを結成し

*夢の第1階層では父との関係を提起、

*第2階層では自分で何か作りたい、

*第3階層で(自分の道を進め、)

と植え付け複合企業を解体するプランを設計しました。


● ダイナミックスを転換するためのノーマルセリフ主体の例

爆発やガンショット、崩壊といったラウドネスの大きなシーンが続きますので随所で耳休めのため静かなデザイン設定が行われています。計6シーンは、セリフがメインでそれ以外はかすかなアンビエンスというデザインです。

1ジェット機内のコブと相棒アーサーの機内シーン

2計画実行の基地となる倉庫内

3パリで訪問した大学の講義室

4誘拐した息子と会社の重役との会話などです。




● 夢の中のパリ喫茶店

大学で紹介してもらった設計士アリアドネにコブが潜在意識の実験を行うスローモーションです。イントロは、テーブルの上のコーヒッカップでこれがかすかに振動で揺れ始め、そこから38秒間、潜在意識下で起こる素晴らしいサウンドが展開されています。

このイントロのカットとデザインは、1993年に音響編集賞も受賞した「ジュラシック・パーク」でサウンド・デザインを担当したゲイリー・ライドストロームが車の中のコップに入った水が恐竜の振動に同期して揺れるデザインへの敬意を表した表現ではないかと思います。


リチャード・キングはこのデザインを大きく3つのレイヤーで構成し、


● 高域成分はガラスや金属、木片などの破砕音

● 中域成分は、爆発風音や飛翔音

● そして彼の本領と言える低域成分は、倉庫にPA SPを設置し、様々なモジュレーションやディストーションをかけて録音したLFE素材がブーム音としてふんだんに使われています。






3−3転  01h00m26sec-02h09m17sec


依頼した企業の会長モーリスが死去し息子のロバートが葬儀に向かうためロスアンジェルスに向かうことを知り彼から遺書の入った金庫のコードを聞き取ろうと行動開始。

*第1階層は雨のロサンジェルス。タクシーに乗り込んできたロバートを拉致する銃撃戦でサイトーが負傷してしまいます。

*第2階層のアーサーの夢でロバートはホテルに入り率先して第3階層に入ることを望み、アーサーが残り他の5人はイームスの夢の中に入ります。 

*第3階層は父が療養している雪山の病院。イームスが護衛の武装集団を引きつけ、その間にサイトーがロバートを伴って病院に潜入しますが、ロバートは負傷し計画は失敗かと見えましたが・・・

*アリアドネがさらに深い第4階層を設定し、その間にロバートを回復させます。




 ● 夢第一階層への転換

低域の使い方がうまいリチャード・キングがシーン転換の音楽を引き継いで低域効果音だけでブリッジの役目をしたデザインです。異なる低域素材を組み合わせているので音が団子にならず、低域の全面WALLサラウンド音響が構築されています。


● ロバートを誘拐する銃撃戦

1分30秒効果音だけで構成したシーンです。フロントは、列車の走行ON,雨の中の車のワイパーが左右に移動する軋みが大きく強調、車のOFFや銃撃のOFF、リアサラウンドでは、冒頭の列車の走行音がフロントと同程度に低域を補強、車の室内音の低域成分、空気を切り裂く弾丸通過音は秀逸です。


ハードセンターで銃撃のON、マシンガンの弾倉が落下する金属音や車にひかれるマシンガンやアクションに付随したFoleyがきめ細かくデザインされています。アクションシーンで一般的なLFEについてはマシンガンの発砲時のみ強調するといった区別が行われています。想像するに1分30秒激しい銃撃戦なので全てにLFEを付加するとメリハリがなくなると考えてのデザインではないかと思います。


3−4結  02h09m17sec-02h20m56sec


イームスが与えた電気ショックでロバートは生き返り、金庫を開けて死ぬ間際の父モーリス・フィッシャーと対面し“自分の道を進め”というドムたちが仕掛けた遺言を得ます。

ドム・コブ、サイトー、アーサー、アリアドネ、イームス、ユスフ、ロバート全員が現実の飛行機の中で目覚め コブはアメリカへの入国審査を無事パスし叔父のマイルス教授に空港で迎えられ自宅に着くと子供たちと再会。自分のトーテムの駒を回してこれが現実か夢なのかを探ろうとするところで…


● ラストカットの音楽と回るコマ音

無事入国し2人の子供と再開したコブ。喜びを分かち合う3人の声は、カメラがテーブルにパン・ダウンするとフェードアウトしピアノのメロディと回っている駒のトーテムだけになります。そして一瞬駒が止まりそうなカットに同期して音楽も駒の回転もカットアウト!という余韻を残したエンドはこれもまた夢なのか?いや現実なのか?を強く印象つけるデザインだと思います。


4 スコアリング音楽

作品の85.4%を占めるハンス・ティマーのスコアリング音楽は、基本4CHでMIXされ前半がアンビエンス効果音を表し、後半1h13’37”からエンドまでは、ほとんどアンダー・スコアの音楽が単発的な効果音を交えて展開されています。

この手法は、次回作となる受賞作『ダンケルク』でも導入しています。ワールド・ワイドな上映を考えると音楽が大半を占める手法は、万人にストーリーを理解しやすいというメリットもありますが筆者などはあまり好みません。

1990年代前半までは、ハリウッドの大作でも平均音楽専有率は50%前後で、音響効果音とうまくバランスしていました。

ハンス・ティマーは、早くからサンプリング音源を活用したスコアリング音楽制作を導入した先駆者です。制作拠点は、サンタ・モニカのRemote Control Productionsでここには現在15人の音楽家がそれぞれ作曲ブースを構え最大12人の同時演奏が可能なスタジオも含め4スタジオあり音楽Final mixもここで実施できるワンステップワークフローになっています。専任ミキサーとしてAlan Meyersonが担当しています。


 本作では、緊迫したシーンにはロンドン・Air Lyndhurst Studiosで録音したバストロンボーン・トロンボーン・フレンチフォルンのブラスセクションが重ねられ、リリカルなシーンではApfがそしてエンドテーマではGtが重ねられています。ロンドンでの収録映像を見るとロンドンに録音チームは、いますがハンス・ティマーなど制作側はサンタ・モニカにいてリモートで指示を出している様子がわかります。




 クレジットによると前半のアンビエント音楽は、ハンス・ティマーでなくMel Wessonがプログラミングしています。今後ここで修行した15人の次世代音楽家が活躍していくのでしょう。



エンドロール音楽は、それまで目覚めのキックとして使われてきたエディット・ピアフの『水に流して』をセンターに定位させ4CHで新たなアレンジを付加した音楽が流れます。

SP.LPレコードの古い音質と最新のデジタル映画音響とのコントラストを効果的に使う例の一つは、1998年アカデミー受賞作『Saving Private Ryan』のラストシーン、アラモ橋でドイツ軍を待ち受けるアメリカ兵たちがつかの間にかけるSPレコードから流れるエディット・ピアフの歌声でも効果的に活用されています。


5 Foley.効果音 素材録音

サウンド・デザイナーのRichard KingはWEAPONコレクターとしても有名で武器の録音には、並々ならぬ情熱を傾けています。


Gun shotは、様々な武器をOPEN射撃場で録音している様子がわかります。

ピストルは、

*本体に粘着したラベリアマイク

*発射位置付近のON

*着弾するまでの通過音

*最終弾着音

これらを8CHレコーダーに一気に録音し、そこから最適ポイントを抜き出して使ったと述べています。多分同じようなマキングだと思いますので参考までに他のSound Recordistが配置したGun Shotのマイキングデータを紹介します。






彼は、低域のデザインも大変積極的で単にLFEの成分を付加して迫力を出すといった使い方ではなく低域成分を倉庫内のPAスピーカで再生し、それを録音するといったアプローチで低域様々な表情を持つ素材をサラウンド音場にデザインすることで音の壁を作り出しています。

録音している現場の映像を見ると低周波発振器にファズやフェーズモジュレーションといったエフェクトを加えて色々な音色を録音していることがわかります。

『ブレードランナー2049』でサウンド・デザインを担当したMark Manginiも低域成分を録音するのに彼の妻のSUVバン車内にスピーカを持ち込んで低域振動を録音したと述べてべていますがデザイナーそれぞれがアイディアを工夫し特徴ある低域を作り出していることがわかります。



素材は、常に新録音するのが一般的なハリウッド流ですので本作では、これ以外にもモハビ砂漠で列車音や雪道のスノーモービルなどもロケーションされています。



終わりに

DolbyAtmos技術が当時あればデザインチームは、さらに表現力を広げることができたと思われるほどイメージを広げることのできるストーリーだと思います。

地味ですが、Production Soundを担当したEd Novickの貢献度も評価しなければなりません。これだけの特撮現場でありながら、同録セリフの使用率は90%というすばらしさです。

LFE単体とサラウンド全体に分布する低域ブーム音のスペクトラムを表示しましたのでどの帯域を有効に使っているか、ご参照ください。

目覚めるきっかけとなるキックLFEと全体に広がるブーム音




パリのカフェで起きる夢のLFEと全体に広がるブーム音




PS: サウンド・デザインの歴史に興味をお持ちの方におすすめしたいのは、2019年にBD-ディスクでリリースされた「MAKING WAVES-ようこそ映画音響の世界へ」です。1930年代のMurray Spivackが作り出したKing Congのサウンドから1999年のMatrixまでを様々な関係者インタビューと映像で紹介しており読者の皆さんにもよく知られたサウンド・デザイナーが次々と登場します。