By. Mick Sawaguchi
日時:2006年7月9日
場所:恵比寿 マランツショールーム
講師:冨田勲
テーマ:冨田勲の語る武満徹の音世界
沢口:今月は、冨田勲さんが同世代の武満徹さんの音世界について感じるところがあったので皆さんにお話したいという提案を受けまして、我が家では入りきれないと思いマランツ鈴木さんに恵比寿のショールームを協力していただきました。さらにすばらしいゲストを冨田さんが呼んでくれました。武満さんと公私をともにした小室等さんです。また今日はいつもの寺子屋塾メンバー以外にも武満ファンや東京芸大の学生さんたちも来てくれていますので、幅広い世代に参考になるのではないかと思います。
冨田:こんにちは、冨田です。私と武満さんとは、仕事の上ではほんの数回お会いしただけです。RVCレコードでどちらもアルバムを出していて私は制作が終わったところで武満さんはまだ試行錯誤している段階でした。話をしていると彼は「考えて考えて作曲する」という印象を当時持っていました。武満さんは、1956年に「狂った果実」で映画音楽にかかわり始め「天平の甍」まで75本の映画音楽を作曲して来ました。彼は映画が大好きということだけでなく、時代と音楽というかかわりを明確にこう感じていたようです。すなわち18世紀はオペラと音楽、19世紀はバレエと音楽そして20世紀は映画と音楽の時代だと。最近「怪談」という彼の映画音楽を改めて聴いてみてその優れた音感覚や哲学に感じる部分がおおいにありましたので、これは是非寺子屋のみんなにも話しておきたいと思い沢口さんに提案したものです。今回は音源がサラウンドではありませんが、きっとみなさんも感じ取れる力のようなものを持ち帰ってください。
私たち70歳代の青春時代は、軍歌や国民歌謡といった音楽以外耳にすることのできない時代背景のなかにありました。それが終戦後突然ヨーロッパやアメリカなど20世紀の音楽に触れることになり、そのときの驚きと感動はおおきな精神面の土台になっているわけです。武満さんも終戦後進駐軍の基地で今で言うDJのような仕事をしながら独学で音楽を作り上げてきました。こうした経験が我々の音楽を形成する土台にあったという点が共通しています。私は、武満さんの音楽というか音世界からは、従来の作曲技法というか作曲法を感じない点が優れていると感じています。彼がひとつのテーマに取り組んでいく場合に、必ずそれに関連した状況や場を自らが体験しそこで感じたものを音に具現化しているとおもわれますね。
今日はその哲学が凝縮された小林正樹監督「怪談」のなかから
黒髪
雪女
耳なし芳一
茶碗の中の顔
を聞いてもらいます。また公私にわたり付き合いのあった小室等さんには、武満さんの日常とか武満さんが作曲し60年代に歌声喫茶で歌われた「死んだ男の残したものは」を歌ってもらうことにしました。
黒髪:再生
これは仕事と立身出世ばかりを考えている武士が久しぶりに我が家に帰り妻と一夜をともにした朝、枕元には骸骨がいたというあらすじです。この映画が製作された昭和39年といえばまだテープレコーダは東通工の2CHがあったくらいで、それこそ寄せ集めの機材で制作したと思います。これを作曲するにあたり、武満さんは、鎌倉で幽霊がでるというお寺に寝泊りしてインスピレーションを沸かしたそうです。そこの本堂にある柱は人柱でできているといわれその霊が夜中に天井から白装束の姿で舞い降りてくるといわれていました。彼は「2億年の夢」という作曲をしたときもオーストラリアのアボリジニの所へしばらく住んで曲想を考えていますがこうしたアプローチが彼らしいと思います。
「バシバシ」と鳴る音が特徴ですが、「一音の表現」という彼の考えが具現化された例だと思います。ペールギュントの世界にも似たようなモチーフがあります。山師の男が鉱脈を掘り当て財をなしてノルウエーに帰る途中嵐にあい、一文無しになって久しぶりの我が家に帰ると妻が待っていて、その膝枕で歌を聴きながら息たえる・・・という筋書きです。
待つことで復讐するという小泉八雲のモチーフは、彼の日本での風俗民話風習などを聞いた中から作り上げた実に日本的なストーリだと思います。
雪女:再生
これは尺八をメインに石や風の音を加工して使っています。リバーブの表現が様々に出てきますが当時リバーブといってもトイレの中や階段にスピーカとマイクをおいて作っていた時代です。NHKには電子音楽スタジオという設備がありましたが、私や武満さんは使える時代ではありませんでした。この制作には当時東京にあったラジオ九州のスタジオで奥山重之助さんというエンジニアと共同作業で制作したとクレジットされています。
私は雪女に出会ったことがあるんですよ。志賀高原から白根へ向かう途中の夜に車が雪道で脱輪したため、歩いてホテルまで行こうとしたときでした。当時の夜は漆黒の闇で雪深い道を歩いていると突然白いふわりとしたものが私にまとわりついてくるのです。寒さと暗闇、道もはっきりしないし意識も朦朧としていた中での出来事でした。あとでわかったのですがそこは曲がった道で風の通り道だったんです。ここにつむじ風がおきて雪が舞いこれがが雪女に見えたんです。でもこのときに見た雪女の印象が武満さんの雪女という音楽とぴったりはまっていたのが思い出されます。
耳なし芳一:再生
茶碗の中:再生
これは太棹と声が素材ですが、一瞬接触不良かと思うようなゲート機能が使われていて大変印象に残りました。武満さんの音楽はこうして聴いてみると「これが正解」という強い意志が感じられます。最後までそれが貫かれているんですね。良く我々は、締め切りに追われてスタッフは「どうもおかしい?」と思いながらもそのまま完成に至るという状況を経験しています。こうした場合は、必ずいい結果にならないんですね。ところが彼の場合はそれが強い意志で貫かれている点がすばらしいと思います。では次に彼の対談を聞いてください。
「狂った果実」と映画音楽:再生
これは昭和31年の映画「狂った果実」の映画音楽について評論家の秋山邦晴さんと対談しているテープです。彼はここで「音色」の重要性について語っています。カラーになってから夏の暑さを出しにくくなってきた。ここにスチールギターをメインの音色として暑さを出した。といったことを述べているわけです。もうひとつ聞いてみましょう。
「MIXの重要性と作曲家の役割」:再生
ここで彼は、最近の映画音楽が演出されていない点を批判し、全体の構造や監督の意思といった部分を最初から考えながら作曲する重要性について語っています。たとえば
● 音がまだないラッシュを見て映像から聞こえる音があればこれを音楽で塗りつぶしてはいけない。
● 音は引き算して構成していく
● 映像表現がわからないと映画音楽作曲は完全ではない
● ハリウッド方式の分業体制では音色を一貫して維持するのが困難
● 作品のなかに音楽といえるものが1曲しかなくてもそれがすばらしければ十分成立
映画音楽では、音楽を演出するスキルが重要で、作曲家は最終のMIXにも立ち会って音色やレベル、タイミングなどを考えなくてはならないと述べていますね。一例として「あかね雲」の最終ダビングで音楽の入るタイミングを足音の数歩分ずらすことで全体の表情が大きく変わることをあげています。
白い朝:再生
これはピアノソロだけですが、武満さんの映画音楽のポイントは、音楽を音楽として捉えるのではなく「音響のひとつ」として捉えていた点だと思います。音楽理論から出来上がった音楽ではなく、彼がこう言いたい!と思ったこと、これだという自信が結果的に音楽になったという点で「ホンモノ」だと私は感じています。1970年に私は大阪万博でマルチチャンネルによる音楽を制作するためによく東京―大阪を東名高速で往復していました。新幹線もありましたが、ドライブの最中にいろいろな音楽を聞くのが楽しみでドライブをしていたわけです。その中に大変強いメッセージを持ったフォークソングを歌っている曲に出会いました。それが小室等さんだったわけです。そんなことで今日は小室さんにも来てもらって個人的にも親しかった武満の世界観を一緒に話してみようと思います。
小室さん、登場以下2人の対談です。
冨田:先ほどの対談テープですけど、聞き手は武満さんを君 君と呼んでますね。
小室:多分あれは評論家の秋山さんだと思います。映画音楽が「怪談」で音楽以前と酷評されたときに真っ先に評価した方です。草月会館を基盤に実験工房をスタートさせたときから武満さんを支えていた一人ですね。
冨田:大変日常的にも親しかったと聞いていますが、小室さんからみた武満観はいかがですか?
小室:まあ、よく映画は見ていましたし、ジャンルを問わずいろいろな音楽も聴いていましたね。「小室君 あれ聞いた?」とか逆によく教えてもらいました。作曲家といよりは作家性が強かったといえると思います。これを譜面どうり演奏して欲しいというのではなく演奏家のもつポテンシャルを最大限発揮できるような作曲というんでしょうか。作曲というより演出するといったほうがいいかもしれません。ですから武満さんの楽曲は特定の演奏家をあらかじめ意図して書かれている譜面が多くありますよね。あれはその人が持っている能力が最大限発揮できるノリシロの部分を加味した結果だといえるでしょう。ハリウッドなどの映画音楽にもおおきな影響を与えていると思いますよ。大島渚監督の「愛のコリーダ」を担当したとき最終MIXはパリのスタジオで行ったのですが、武満さんがミキサーに「もっと音楽の低域を出して欲しい」とリクエストしたところ「Mr武満、世界の映画館で再生することを考えると音響設備が良くないので低域は出さないほうがいい」とアドバイスされたそうです。そこで武満さんは、それは音楽のせいではない、もしそうなら映画館の音響条件を改善して私の音が正確に再生できることが必要ではないか」といったそうです。
冨田:映画というエンターテイメントのなかで実験ができたことも良かったですね。譜面を書いてそれを実際のオーケストラが音をだしてそれを自分で聞いてみるわけですから。それじゃいくつか演奏してもらえますか?
小室:演奏の前に35年前冨田さんにアレンジしていただいた「比叡おろし」を聞いてください。
(再生)
では「死んだ男の残したものは」を歌いたいと思います。当時60年代はベトナム反戦の時代でした。全電通ホールに学者、文化人が集まって集会を開くというので武満さんが作曲し谷川さんが詩をつけたのがこの歌です。武満さんは「愛染かつら」を歌うように歌ってくださいといってましたが。私は武満作品というとクラシックという印象ではなくJAZZやポップスといった作曲に好きな作品が多くありました。この歌は当時、私の身丈以上の力が感じられたのですんなり歌うことができませんでした。最近になって「これはラブ ソングだ」と思い始めて歌えるようになった歌です。では聞いてください。
(演奏)
冨田:ありがとうございます。武満さんは晩年黒澤監督とも2本音楽を担当していますね。
小室:そうですね。ではそれにちなんでユニークな成り立ちの曲を演奏しましょう。これは「乱」の音楽録音で札幌にいたとき録音の合間に黒澤組にささげるテーマ曲として作ったものです。
(演奏)
冨田:どうもありがとうございました。私が知らない武満さんの世界が垣間見えたようですね。やはり夜の付き合いがながいといろんな切り口があるものですね。
沢口:冨田さん、小室さんどうもありがとうございました。今回は30名ほど参加で、しかも幅広い年代分布ですので感じるところも幅広いかと思います。皆さんから質問があればどうぞ。
Q-1:あたらためて武満さんの映画音楽観をどう捕らえていますか?
A:共同作業の大切さ。そして音響と音楽の区別をせずこれが正しいと言い切った自信。ハリウッド的合理主義の作曲でなく実に日本的な割り切れない音の使い方で完成度が高いという点ですね。これが正解という精神が乗っているから聞いていて感じるものがある「なにかくるもの」がある。これが重要ですね。
Q-02:作曲家でなくサウンドデザイナーをやりかったのでは?
A:音響であれ音楽であれ区別しないで表現手段にしていくという点ではサウンドデザイナーとしてもすばらしい仕事ができたでしょうね。音階だけがすべてではないという考えを持っていましたから。また一人で君臨するのではなくお互いの暗号が読める相手とコンビを組む共同作業の大切さも認識していました。また音を扱う上で「沈黙の大切さ」「音で埋め尽くさない、引き算の勇気」といったことも彼は重要視した一人ですね。
Q-03:今いきていればサラウンドで表現をしたかったと思いますか?
A:そう思いますね。いろいろな編成で作曲してますしまさにサラウンドが活きてくる世界だと思いますきっとやりたかったと思いますね。「怪談」はいい例だと思いますが、2CHの中でも非常に立体性を考えていますよね。作曲でも演奏者の場所を指定した曲をたくさん書いていますし。
Q04:作曲の段階で空間性をどれくらい考えているのですか?
A:たとえば源氏物語幻想交響曲は、まさにサラウンドでなければ表現できなかった世界です。葵上と6条之宮所の確執や怨念を出すのにフロントでは自責の念を言いながらリアでは本心を露呈しているといった「本音と建前」のコントラストをだすにはステレオでは無理でしたね。
Q05:今日きいた「怪談」は効果音とも取れるし、音楽といえば音楽ですし、どう理解するのがいいのですか?
A:私は武満さんが最終的に出てきた音・音色を「これが正解だ」といって提示したわけで、その信念や自信が聞き手に「何か来る」んですね。ですから彼がこうだ!と信念をもって構成し具現化した彼の音楽だと捉えています。
どうも長時間ありがとうございました。冨田さんそして特別ゲストで生演奏まで披露していただいた小室等さんにお礼申し上げます(了)
「サラウンド寺子屋報告」 Index にもどる
「サラウンド入門」は実践的な解説書です
No comments:
Post a Comment