放送技術から2025年時点でのImmersive Audio制作を俯瞰した記事を依頼されました。筆者は、UNAMAS Labelを基本にホールでの自然空間をとらえるクラシックとスタジオでのJazz制作が中心ですので本項では、他のジャンルや海外を含めたImmersive Audioの現状も紹介します。ここで扱うImmersive Audio musicは、基本ベースチャンネルが、7.1CH+4CHハイトCHにより構成する11.1CH音楽とします。
1 Immersive Audioへの道のり
1-1 5.1chサラウンドは笛ふけど市場は踊らず---しかしDolby Atmos空間音楽は、なぜ市場で弾みがついたか?
筆者は、Dolby Matrix時代を含めて1985年代から各種のサラウンド制作、およびmix room設置などに従事してきました。1990年代半ばから少しずつ5.1chサラウンド制作が行われるようになり音楽分野ではDVD-Audio SA-CDサラウンドソフトが台頭しましたが、市場には、受け入れてもらえませんでした。
2000年初期に、ハイレゾ配信ビジネスがスタートしソフトウエアーベースでの5.1CHサラウンドの配信も可能になりましたが2ch主体のユーザーには歓迎されませんでした。Dolby Atmosを初めて採用した映画作品は、2012年に公開されたディズニー/ピクサーの「メリダとおそろしの森」で翌2013年に「Gravity」が登場しその360度サウンドデザインは、アカデミーBest Soundを受賞します。振り返れば1993年にDTS Cinema soundが登場したインパクトを20年後のDolby社がImmersive Audio Cinema soundとしてランクアップしたことになります。Dolby社は、この技術を音楽分野にも展開すべく手軽なレンダラーをソフトウエアー・ベースで開発しDAWメーカやApple music配信とタッグを組んで『空間音楽』という名称で市場形成を行なったわけです。普及の要因は、
Dolby社の汎用エンコーダ・デコーダツールの開発とADM-BWFフォーマットの制定による制作環境の普及
PTをメインとしたImmersive Audio制作対応DAWの開発・普及
独立スピーカ設置でなくヘッドフォン・リスナーを対象にAppleが空間を楽しむというコンセプトが受け入れられた。
という制作から再生環境構築までをワンストップで作り上げた戦略によるところが大きな要因だと言えます。Immersive Audio制作は難しい・・・と思われる制作者も多くいることは事実ですが、大胆な提案をすれば
-これまでの2CH制作にハイト情報となる4CHの情報を加えれば成立—
といっても過言ではありません。以下に3つのパターンに分けて制作の実例を紹介します。
2 ホール録音とmiking -自然な響きをハイト4CHで捉える
クラシックや映画音楽に代表されるオーケストラのホール録音は、ステレオ制作の時代からほぼ普遍的な録音手法が定着しています。すなわちL-C-Rメインマイク+アウトリガーと呼ばれる両端のL-R(Ext-L Ext-R)に加えて補正が必要な楽器別のSpotマイクの追加で総計20CHくらいとなります。これが5.1CH対応となった場合は、リア用のLs-Rsのマイクが加えられます。これが11.1CH録音となった場合は、新たにハイト情報を捉える4CH分が加わるだけですので、煩雑になるといった工程ではありません。実際のマイキング例をいくつか紹介します。
2−1New Year Concert
毎年新年に放送されるウイーン・学友協会からの放送や・ソフトは、眉をしかめていかにもクラシックを聞いているといった内容でなく、毎年著名指揮者がワルツを演奏する世界でも大変人気のプログラムです。これまでは、5.1CH制作が行われてきましたが2018年からハイト4CHを加えて収録を行うようになりました。
参考:世界の放送用Immersive Audioのマスターは、現在大規模スポーツイベント(サッカー・オリンピック・スーパーボールなど)を中心に5.1CH+4CHハイトの9.1CHマスターが推奨されています。
Live会場では、基本9.1CHマスターを送出し、受け放送局は、その国の状況に応じて2CH-5.1CH-9.1CHから選択して放送ということになります。
2-2 2L-CUBE 11CHワンポイントマイキング
ノルウエーに拠点を持つ2Lレーベルは、モートン・リンドバーグが独自に開発した2L-CUBEと呼ぶタワー型のマイキングを使用して数々の優れたアルバムを制作しています。
GRACE Design社からは、このユニットが販売されており現在20ユニットほどが世界で活用されています。
このマイキングが登場し、アルバムとしても注目を集めた頃モートンは、ヨーロッパのAESやトーンマイスター会議などで盛んに講演を行っていましたが、ある時期からやめてしまいました。その理由を語ってくれたエピソードが面白かったので紹介します。いかにもヨーロッパの学者・研究者Vs音楽制作者の構図が見えてきます。(彼らは、制作したサウンドを聞かずに2L-CUBEの配置や寸法を決めるのにどんなパラメータで導き出したかの理屈を優先した質問ばかりするので、辟易したのでやめた)というわけです。
2000年初期に5.1CHからImmersive Audioが注目され始めた頃AESを中心に多くの(これこそがbest、マイキングだ!これこそが理想的な再生配置だ!)といった論文が吹き出してきました。研究者には、自分がいかに多くの論文を書くかが評価でしょうが、制作側にとっては、最も汎用性がありかつどこでも統一した制作・フローを確立する方が普及という点からも重要です。事実5.1CHメインマイキングで現在まで使われてきているのは、デッカ・ツリー方式がメインです。
* 参考文献として学術的な資料の一つとしてイギリスのH.Leeがまとめた最近の3D MIC overviewという資料を紹介します。この全文は、AES E-Libraryから入手することができます。
J. Audio Eng. Soc., vol. 69, no. 1/2, pp. 5–26, (2021 January/February).
* 同様にさまざま提案されているマイク方式をピアノ録音で同時収録して評価パラメータごとに測定した実験結果も以下に紹介します。
3D MICROPHONE ARRAY RECORDING COMPARISON (3D-MARCo)
Hyunkook Lee and Dale Johnson
Applied Psychoacoustics Lab (APL)
Centre for Audio and Psychoacoustic Engineering
University of Huddersfield
2-3 最近の海外録音例
A:アメリカの制作例です。Metcalf-Treeと称したマイクアレイです。メインが、5CHで構成し、後方には、4CHハイト用マイクがセットされています。
b: Willy Porterカルテット
これは、2005年1月のスタジオ録音でVo+Gt01-02+Vcという編成です。UNAMASレーベルのスパイダーTreeのようにマイクを取り囲んで演奏者が配置されています。
ユニークなのは、スタジオ空間なので楽器の響きが豊かではないのでそれを補強するためにPAスピーカでそれぞれの音をスタジオ内にフォールドバックさせて擬似空間を作り取り込んでいる点です。
c:映画音楽
ハリウッドでのスコアリング音楽録音では、まだImmersive対応の録音例が見つかりませんでしたが、ウイーンにあるSynchron stage Viennaでは、いくつか行われています。従来のデッカツリー方式に加えてハイト用マイクを近傍に追加したりオーケストラの側面上方に設置した例が見られます。
Hans Zimmerのハイブリット制作例
彼が担当したDune part-01 -02は、素晴らしいサウンドの壁がImmersive MIX表現されています。音源は、シンプルなBs Gt Vn El-Vcに笛とシンセサイザーとコーラスというシンプルな音源で特にハイト用マイクを設置したわけではありません。Immersive mixを担当したAllan Meyersonは、空間を作る各種プラグインを駆使しここから100トラック以上の空間の壁を作り出しています。その基本デザインは、以下のようです。
d:国内制作例
国内例もいくつか紹介します。
UNAMAS-LABEL SPIDER-TREE方式
これは、筆者が採用している7.1CHメイン+4CHハイトマイクの方式です。
ハイト用のマイク設置は、一定ではなくホールの状況や音楽に対応して近接から2階バルコニー席や、2階側面などに設置しています。
Omni-Crossハイト用アレイ
これは、入交さんが考案したハイト用アレイでかなり大掛かりなマイキングになりますが、ホールでの豊かな響きを捉えることができます。
オーケストラに付加したハイト用マイキング
名古屋芸術大学の長江さんは、学生によるImmersive制作活動に取り組み、昨年から独自のレーベルでApple music-Atmos音源を制作しています。こうした活動は、学生にとってより実践的な経験になると注目しています。
もう一つの活動として飛騨高山のオーケストラの演奏を記録していますが最新作からオーケストラのメインマイクに加えてハイト用マイクを追加してやはりDolby Atmosでのmixをリリースしています。ハイトマイクは、ペアの2CHですが、リア成分は、mix時にリバーブを付加することで透明感を維持したハイト成分を作り出しているそうです。
3 スタジオ録音とmiking・2ch録音に何を加えておけば意図したimmersive mixができるか?
豊かな響きを捉えるという制作とは、異なるアプローチになるのがスタジオ録音ですが、これも一言で言えば『従来のステレオ録音に加えて楽器別のアンビエンス成分が必要な楽器にアンビエンス用マイクを追加する』ということになります。基本マルチトラック録音ですので、mix時にそれらをどのように使えば意図した音楽が一層浮き出るか?を考えてアンビエンス成分を取りこむということになります。
3−1Hiromi Uehara『OUT THERE』に見るアンビエンス
200504リリースされた新作は、当初からDolby Atmos Mixもリリースという企画でスタートしました。筆者は、mix・マスタリングを受け持ちましたが、録音は、Power Station N.Yにてアンドレアス・メイヤーさんが担当。事前打ち合わせの結果メインフロアーには、彼の所有する2L-CUBEアレイを設置し、DrumsとTpブースは、それぞれアンビエンスマイクを追加しました。以下にアンビエンス設置のみの配置図を紹介します。
3-2 スコアリング音楽例
これもHiromi Ueharaさんが担当した映画のテーマ音楽例です。本作品は、Dolby Atmos上映が企画されていましたので録音-mixを担当したTylerさんと打ち合わせの結果楽器別のアンビエンスマイクを以下のように設置しています。
またソロピアノの録音がありましたが、これは、スタジオの素晴らしい壁面を生かしてここに4CHのハイト用マイクを設置しました。
4 打ち込み。コンピュータでのImmersiveデザイン
筆者は、打ち込み音楽は、従来から最もImmersive制作に適していると述べてきました。
その理由は、作曲の段階から空間の360度を意識した音源と配置や移動をデザインして制作できmixの自由度も高いからです。数年前から日本プロ音楽録音賞Immersive部門で受賞している作品は、まさにこのことを具現化した好例といえこうした作品が登場してきたことを大いに歓迎する一人です。
これは筆者が、フィンランドCb奏者の打ち込み音源をImmersive mixした例ですが約60トラックの音源をベーシックトラックには、リズム系を配置し、ハイトCHには、ソロやコード、コーラスなどの楽器を配置した例です。
特別な原則は、ありませんので結果的に素晴らしい360度立体空間が作れれば成功と言えます。
終わりに
2025時点でのさまざまなジャンルについてのImmersive Audio制作の現状を筆者の知る範囲で紹介しました。ここでは、あくまで新規に制作している現状を主体とし、ビジネスとして、大きな比重を占めている昔の名盤アナログマスターからのup-mix手法やre-mixについては触れていません。
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