By T.Holman 2000-10 抄訳:Mick Sawaguchi 沢口真生
1 1500-1999年代
サラウンド音声を考案したのはエンジニアが最初ではない。この表現手法を考えたのは、今から400年前の1500年代に活躍した作曲家や音楽家であった。
教会音楽はフロントの両側やフロントとリアの関係を使い参加者の周りで荘厳な雰囲気を醸し出すためにサラウンドを利用している。教会の中にはオルガン自体がフロントとリアに分離されている場合もあった。
モーツワルトからベートーベン、マーラーそして現代のターミネーター2までの変遷をみるとより広い周波数レンジ、特に多量の低域そして広いダイナミックレンジに加え、空間表現を積極的に使用し映像外の音や観客の背後の音を使うようになったことが特徴と言える。
2 1930年代
1934年にBell研究所は当時ヨーロッパで先行していた立体音響を具体的な方法で提示するため無限チャンネル音波波面合成理論を簡略化したフロント3チャンネルステレオを生で公開デモした。Alan Blumleinは、両指向性マイクをクロスに配置した振幅差方式でステレオ音声を光学記録することに成功し、後に45-45方式というレコード記録カッターヘッドを発明している。
45-45方式で導入した左右と上下を利用するという考え方は、現在の10.2-サラウンドに先行すること60年というアイディアである。このBell研の3チャンネル方式とAlaneのワンポイントステレオは今日の「A-Bステレオ」と「同軸ステレオ」の両方式の基礎となっている。
1938年には、Walt Disneyが自宅の居間に座ってFantasiaのための新たな音響表現としてのサラウンドの可能性を様々に考案していた。この様子は1999年に彼の兄弟RoyがL.A Timesに寄稿している。Waltは、当時のスタジオ経営に起死回生のインパクトを与えるためのアイディアを考えていたのである。そのアイディアは飛行機でBumblebeeに向かう機内でひらめいた。いわく、機内に一匹のミツバチが飛んでおりそれがぐるぐると前後左右を飛んでいる音が耳にはいったことがヒントとなったというものである。Disneyのエンジニアはこのアイディアの実現のためにフロント3チャンネルの方式をBell研から借用しそれにリアを2チャンネル付加した「Fanta Sound」を考案した。これ以外にも多くの方式を実験したようであるがフィルム音響という物理面とマニュアルでのコントロールの簡便さ、さらにマルチチャンネルの有効性を両立させるとこの方式が妥当であると判断したためである。
3 1940年代
デズニーがFanta Soundを開発したが世界大戦の影響もありこのシステムで上映できたのはわずか1館のみであった。戦争の影響は同盟国を援助するという点に及び、特にソビエト連邦との関係が密となった。映画を使用することにソ連は敏感でレーニンは「映画を我が国の芸術に!」と号令をかけた。
Fanta Soundの機材は、丸ごと梱包されアメリカ海軍の商船に積み込まれ北大西洋を経由してソ連へ寄贈されることになった。しかし、ドイツU-ボートの攻撃でソ連に到着することはできず今日もその機材は海底に眠っているのである。一方戦争がもたらした技術革新の恩恵は映画音響にも貢献することになる。例えば、30年代の劇場再生スピーカは磁界を発生するために巨大なコイルがスピーカ背部に巻き付けられたフィールドマグネチックという方式であったがこれがアルニコの永久磁石に替わることができた。これは戦闘機のパイロットが被るヘッドセットの磁石として開発されたPermofluxの恩恵である。
また従来のエクスポーネンシャルタイプのホーンはマルチセルラー ホーンへと改良され聴取範囲が飛躍的に向上した。これらの要素を映画音響にとりいれたスピーカとして「Voice of Theater」シリーズはその後35年間君臨することになる。当時最良の音を聞けるのは映画館であった。
4 1950年代
家庭へのTVの普及が戦争の影響で足踏みしていたがやがて普及に弾みがつき始めるやいなや、すさまじい勢いで浸透していった。そのため映画館観客数は30年代に比べ激減しTVにその座を奪われてしまった。FOXグループは、シネマスコープ大画面とフロント3チャンネル、リア1チャンネルを配置した4チャンネルの音響をもたらし、反転に転じようとした。リアの1チャンネルは主に効果音再生に使用され劇場の観客を取り囲むような配置とされた。さらにサラウンドスピーカが多数配置されたことによるヒスノイズを低減するためのノイズリダクションも考案されている。これには12kHzのトリガー用信号を使用しリアチャンネルをノッチフィルターでon-offする仕掛けである。しかし、上映機器の不安定性からon-off動作がうまく働かないこともしばしばであった。
続いてE.テイラーの夫で起業家のM.Toddによりが70mmフィルムと6チャンネルの音声トラックを持つTOD-AO方式が考案された。「80日間世界一周」のプレミアショーでは、休憩時間がくるまで不安げにロビーで座っていた彼だが、休憩時間でロビーに出てきた小柄な批評家をつかまえて「サウンドはどうでしたか?」と聞くと「いたるとこ音が溢れていたよ」との応えが返ってきたというエピソードが残っている。
確かにフロント5チャンネルとリア1チャンネルの構成は、隙間のない音響空間を作り出していたのである。やがてこの方式で「オクラホマ」や「南太平洋」が制作されるようになる。M.Todd は、不幸にも飛行機事故で無くなってしまうが、彼のまいたマルチチャンネルの萌芽は、高品質音響の世界に足がかりをつけたといえよう。50年代の終わりには、家庭用のステレオLPが45-45方式で登場することになる。
1960年代
ステレオLPの出現は、その後のステレオ音響に強力な弾みをつけることとなった。ステレオFM放送、4トラックオープンテープ、カーオーディオ用8トラックテープそしてカセットテープ等である。しかし2チャンネルでは限界があるのも事実である。H.Hancockもコメントしているように実際の音は、あらゆる方向から到来している。この具現化が「4チャンネル ステレオ」であった。残念ながら方式の乱立でコンスーマは困惑し、音響心理学者は後ろ向きな発言しかしなかった。そして次に使えるサラウンドサウンドが登場するまで実に30年の歳月が流れたのである。(了)
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