March 17, 2016

トーンキュンストラー管弦楽団のハイレゾリューション・サラウンドレコーディングについて


名古屋芸術大学 音楽学部 音楽文化創造学科 長江和哉


1.概要
 2015年10月オーストリア•ウィーン近郊グラフェネックでおこなわれた、佐渡裕氏指揮、トーンキュンストラー管弦楽団 Tonkünstler Orchesterによる、リヒャルト・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」と組曲「バラの騎士」のセッションレコーディングを、ベルリンの録音制作会社、ペガサス・ミュージック・プロダクションのトーンマイスター、フローリアン・シュミット氏とアキマトゥシュ氏が行った。彼らとは以前から交流がある録音仲間であったため、今回私自身も録音チームの一員としてセッションに参加することができた。かねてからオーケストラのセッション録音はベールに包まれた部分が多く、その詳細について多くが語られることはないが、今回オーケストラよりこれら一連のプロダクションについての背景やその制作手法について紹介することについて快諾を得たので、以下のようにリポートさせていただく。尚、この作品は2016年3月18日にe-onkyo music より192kHz 24bit Stereo / Surroundのハイレゾリューション配信、3月23日にNAXOS JAPANよりCDとしてリリース予定である。

2.オーケストラとレコーディングの背景
 トーンキュンストラー管弦楽団 Tonkünstler Orchesterは108年の歴史を持つオーストリアの名門オーケストラである。ウィーン市とニーダーエスターライヒ州を活動拠点としており、ウィーン楽友協会、ザンクトペルテン祝祭劇場、グラフェネックでコンサートを行っている。トーンキュンストラーというオケの名前の起源は、18世紀のハイドン・モーツァルト時代のウィーン音楽家協会 Tonkünstler-Sozietätまでさかのぼり、1907年に現在の団体の母体となるウィーン音楽家管弦楽団協会 Verein des Tonkünstler-Orchestersとなり、組織改変を経ながら現在に至る。2015年9月より新音楽監督として佐渡裕氏が就任し、それにあわせ今回のセッションレコーディングが行われた。レコーディングが行われたグラフェネックは、ウィーンから約60km北西のニーダーエスターライヒ州にあり、グラフェネック城や白ワインの産地として有名であり、2007年より毎年夏にグラフェネック音楽祭が開催されており、これまでにNHK交響楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などが出演するなど、オーストリアの夏の風物詩として定着している。この音楽祭は、グラフェネック城に隣接する広大な庭園に建築された、雲の塔 Wolkenturmと呼ばれるオープンエアステージと、今回のセッション録音が行われたホールAuditoriumで行われており、本楽団がレジデント・オーケストラを務めている。
          Grafenegg Wolkenturm  グラフェネック オープンエアステージ 雲の塔   © Alexander Haiden

3.録音チームとレーベルについて
 録音はベルリンの録音制作会社、ペガサス・ミュージック・プロダクションのフローリアン・B・シュミット氏 Florian B. Schmidtとアキ・マトゥッシュ氏 Aki Matusch より行われた。シュミット氏はベルリンを中心に20年以上のキャリアを持つトーンマイスターで、これまでに、ドイツの公共放送ドイチュラントラジオ•クルトゥーア Deutschlandradio Kulturでの放送中継のトーンマイスターや、DSOベルリンドイツ交響楽団、RSBベルリン放送交響楽団、リアスカンマーコア、ドレスデンカンマーコア、ハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管弦楽団などのさまざまな原盤制作のトーンマイスターとして活躍している。マトゥッシュ氏は2011年ベルリン芸術大学にてディプロム・トーンマイスターを取得し、トーンマイスターとして各種レーベルの原盤制作や放送中継の分野を中心としながら主にベルリンで活動している。今回の録音は、オケが新たに自主レーベルを創立しその第一弾としてリリースされたが、制作の方法も従来のレコードビジネスのスタイルではなく、オケのマネージャーがコンサートを編成するように、柔軟な視点でレコーディングが企画された。また録音チームからもCDのみではなく高音質ステレオとサラウンド配信でのリリースを視野に入れた録音が提案され、192kHz 24bitハイレゾリューション・サラウンドで録音が行われた。

                 Pegasus Musikproduktion  ペガサス・ミュージック・プロダクション

4.収録場所
 今回の録音は2008年にグラフェネックに建設された1300人収容のホール Auditorium (オーディトリアム)で行われた。こちらのリンクでこのホールの音響を手がけたMüller-BBM GmbHによるホールの詳細を確認することができる。私の印象ではホールの残響は明るめで、残響約2秒程度に感じた。ステージ横とステージ正面にはアーリーリフレクションを減衰されるために、黒い布の幕が設置された。収録はステージ裏のピアノ庫に機材を設置し行われた。

                      Grafenegg Auditorium オーディトリアム


5.収録機材
 今回の収録機材は、MADI転送を用いたハイレゾリューション192kHz 24bit での24トラックでの収録を実現するためにプランニングされ、ステージの指揮台の下に、HA MADI Interface、RME Micstasy 2台とOctaMic XTC が設置された。ステージからのMADI信号は光ファイバーを経由して、コントロールルームのRME MADI Routerで2つに分岐され、メインとバックアップ2台のMADI-USB-PCI Interface、RME MADIface XTで、メインDAW : MERGING Technologies Pyramix、バックアップDAW :  Magix Sequoiaで収録された。(図1︎) 省力化された収録機材により、スタンドやケーブル他全ての機材を含めてもベルリンからウィーンまで乗用車1台で運搬できたことが印象的であった。


                         図-1レコーディングシステム

    
Stage                                                                                           Control Room

   
    Stage Box : RME Micstasy, Octamic XTC           Audio Interface : RME MADI Router,MADI face XT 

  
Audio Interface : RME MADI face XT                  DAW : Merging Pyramix    


6.実際の録音について
 今回は10月16日より4日間の予定で、リヒャルト・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」と組曲「バラの騎士」のセッション録音が行われた。初日である10月16日は15:00よりリハーサルを行い、19:30より「英雄の生涯」について、オケの支援会員限定のコンサート形式のレコーディングが企画され、勢いと緊張感あふれるコンサートテイクを録音することができた。翌17日はそのテイクのリマークスに基づき詳細についてのセッションレコーディングが行われた。1日の休みのあと、10月19日、20日は組曲「バラの騎士」について、2日間にわたってセッション録音が行われた。どちらの楽曲も4管編成という大きな編成で、高度な演奏力を必要とする曲であったが、指揮者・オーケストラが一体となり、トーンマイスターがその音楽を最大限引き出すようにディレクションを行いながら的確に進められた。

7.マイクアレンジ
 図-2に示すのが今回のマイクアレンジである。今回の録音は楽曲を考慮し、弦楽器のサウンドをオープンかつクリアに収録するために、Vn1,Vn2, Vla,Vcはスポットマイクを設置せず、Decca Treeでそのイメージを得るコンセプトに基づいて行われた。メインマイクシステムは、Schoeps MK2SによるAB-Stereoと、B&K/DPA 4006によるDecca Tree LCR-LL-RRとし、サラウンドLS-RSはバトンより天井向きに吊りさげたワイドカーディオイドSchoeps MK21が設置された。スポットマイクは、弦楽器はコントラバスのみ、木管の各セクションとホルン、ハープ、打楽器に単一指向性の各マイクが用いられた。また、英雄の生涯 第4部 「英雄の戦場」のバンダトランペットは舞台下手袖で演奏されたが、こちらにもスポットマイクが設置された。各スポットマイクはメインマイクシステムの中でもっとも大きなバランスとなるDecca Treeとタイムアライメント(時間補正)が行われた。具体的には、各スポットマイクが捉える楽器の発音位置で、パルス音を発してメインマイクとスポットマイクのDAW波形の時間差を計測し、DAW Pyramixミキサーのトラックディレイで、スポットマイクを遅延させ、各マイクの相関関係を考慮したミキシングがおこなわれた。


                         図-2 マイクアレンジ








  

  

  

  

8.ポストプロダクション
 ポストプロダクションは、ベルリンのペガサス・ミュージック・プロダクションのスタジオで行われたが、その詳細についてシュミット氏とマトゥッシュ氏にインタビューをおこなった。

Q. あなたたちが考える理想的な録音作品というものはどういうものですか?
A.良い録音作品はリスナーが完全に技術的や電気的なことについて考えずに、音楽に集中することができます。そこで重要となるのはその音楽にフィットしたホールトーンと個々の楽器間のふさわしいバランスである思います。私たちは、メインマイクシステムの位置決めは、最も重要な要素だと思います。何故なら、それはケースによりますが、メインマイクがミキシング全体の約90%を占めることもあるからです。たった10cmの高さの差は、全体の音で考えると大きな違いにつながります。 特に今回の録音ではたくさんスポットマイクが設置されていますが、実際のミキシングではそのほとんどがメインマイクシステムとなります。

Q.録音機材はどんなところが重要ですか? 
A. 録音機材の最も重要な要素は信頼性です。私たちは技術的な細部について気にすることなく、「楽器」のように録音機材を使用したいと思います。複雑なセットアップで時間を失うことなく、可能な限り素早く「音」について集中したいと思っています。 

Q.録音ではMADIによる信号転送していますが、なぜMADIを使用していますか? 
A.MADIは本当に素晴らしいと思います。先ほどの質問にもあるようにMADIは素早く簡単にセットアップすることができます。私たちはRMEのMADIテクノロジーを長い間使用しています。これまでの経験では、最高のサンプル・レートで使用しても、ドロップアウトや同期の問題は全くありませんでした。私たちは本当にそれをレコメンドしたいと思います。 

Q.編集やミックス、マスタリングについて、その考えを聞かせてください。
A.ミックスのプロセスは、最初のテイクを録音しているときにすでに始まっています。 私たちは、録音中に各楽器間でのバランスに問題がある場合や、演奏がふさわしいない場合は、それらについてすぐに判断してディレクションする必要があります。「録音のあとでミックスでフィックスする」よりも直接ステージでふさわしいバランスになるようにディレクションして収録したほうが良いと思います。 

Q.ホストプロダクションはどのように行いましたか? 
A.編集については、最初の編集とミックス終えてから、佐渡裕氏とともにベルリンのペガサス・ミュージック・プロダクションのスタジオで、8時間かけてミキシングして仕上げました。
 
Q.ミックスについて メインマイクとスポットマイクのバランスはどのような感じでしたか? 
A.メインマイクのみのバランスになるか、スポットマイクをミックスしたバランスになるかについては、完全にその部分のスコアに依存します。今ではこれらをDAWのオートメーションを使用して行うことができます。この時メインマイクとスポットマイクのタイムアラインメントはとても重要となります。 

Q.サラウンドミックスはどのように行いましたか? 
A.私たちはLS、RSのサラウンドチャンネルにSchoeps MK21ワイドカーディオイドを使用しました。手順としては先にステレオを作成し、そのオートメーションミキシングされたステレオミックスを用いてサラウンドミックスを作成しました。また、フロントとリアに異なる2つのBricasti M7リバーブを用いて、特にリアはアーリーリフレクションとリバーブをふさわしいように調整しました。

Q.英雄の生涯でのオフステージ(バンダ)のトランペットはどのようにミキシングしましたか? 
A.ぜひ、それを調べてください!!!
  


9.おわりに
 今回の録音を振り返ってみると、まず、「素晴らしい作品を創造しよう」という指揮者・オーケストラ・オーケストラマネージャー・トーンマイスターの明確な目標があり、そのチームワークよってそれらが成し遂げられたように感じた。それは事前にオケのマネージャーとトーンマイスターが、録音のコンセプトやスケジューリングをもっともふさわしいように組織した結果であり、改めて録音はその録音に至るまでの段取りがとても重要であることを感じた。トーンマイスターのシュミット氏は、90年代初頭の大手レコード会社でのインターンシップから、トーンマイスターのキャリアが始まったとのことであったが、その頃のオーケストラ収録は、多くの機材と大勢のスタッフにより、今よりも多くの日数をかけて大規模におこなわれていたとのことであったが、現在は、MADIを使用したハイクオリティ低コストの技術に助けられ、オーケストラのセッション録音を数人で行うことができる時代となった。これらにより回線の技術的なトラブルが少なくなり、トーンマイスターはよりマイキングや音楽の中身に集中でき、さらにオケの演奏者やマネージャーとのコミュニケーションの時間が増しているようにも感じた。今後、オケは1年に1枚のペースでこのように自主制作のハイレゾレコーディングをおこなっていくとのことであるが、どのような作品がリリースされていくかとても楽しみである。今回、快く掲載許可を頂いたトーンキュンストラー管弦楽団とトーンマイスター、フローリアン•シュミット氏とアキ•マトゥッシュ氏に感謝いたします。



CD information

 リヒャルト・シュトラウス : 
 交響詩「英雄の生涯」 / 「ばらの騎士」組曲 
 佐渡裕 (指揮) トーンキュンストラー管弦楽団
 
 Strauss: 
 A Hero's Life 
 Suite from "Der Rosenkavalier" 
 Yutaka Sado / Tonkünstler Orchester 
 "A Hero's Life" tone poem, op. 40 
 Suite from the Opera  «Der Rosenkavalier» op. 59


Credits 

 Recorded at Auditorium Grafenegg, Lower Austria, 16–20 October 2015
 Recorded by: Pegasus Musikproduktion
 Producer: Florian B. Schmidt
 Sound engineers: Aki Matusch, Florian B. Schmidt
 Location assistant: Kazuya Nagae
 Post production: Aki Matusch, Florian B. Schmidt
 Design: parole München 
 Photographers: Kazuya Nagae, Platzhalter, Platzhalter, Platzhalter
 Editing: Ute van der Sanden
 Translation: Caroline Wellner, Masato Nakamura
 Proofreading: Sandra Broeske 
 Executive producer: Frank Druschel 

  ℗ + © 2016 Niederösterreichische Tonkünstler Betriebsgesellschaft m.b.H. 
 All rights of the producer and the owner of the work reproduced reserved

Profile

指揮 : 佐渡 裕 
京都市立芸術大学卒業。1987年アメリカのタングルウッド音楽祭に参加。その後、故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事する。翌88年、ドイツのシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭に参加してダビドフ特別賞を受賞し、バーンスタインとともにツアーに同行。89年新進指揮者の登竜門として権威あるブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、国際的な注目を集める。95年、故レナード・バーンスタインを記念して開催された「第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール」で優勝し、「レナード・バーンスタイン桂冠指揮者」の称号を授与される。現在パリ管弦楽団、ケルンWDR交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、BBCフィルハーモニックなど、ヨーロッパにて一流オーケストラへの客演を毎年多数重ねている。2011年5月にバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、2013年1月にロンドン交響楽団、10月には北ドイツ放送交響楽団にもデビューを果たすなど、欧州での活躍は目覚ましく、絶大な人気を誇っている。2015年9月よりオーストリアを代表する、108 年の歴史をもつトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任した。


 トーンキュンストラー管弦楽団
 108年の歴史を持ち、オーストリアおよびウィーンの音楽文化の中で最も重要な役割を果たしてきた。これまでにファビオ・ルイージ、クリスチャン・ヤル ヴィ、アンドレス・オロスコ=エストラーダらが首席指揮者を務めた。「ウィーン 楽友協会」、「ザンクトペルテン祝祭劇場」、グラフェネッグ国際音楽祭の開 催地「グラフェネッグ」を拠点に活動し、同音楽祭のレジデント・オーケストラ も務める。2017年には佐渡裕と英国ツアー、ドイツツアーを予定している。


トーンマイスター
フローリアン・B・シュミット Florian B. Schmidt

ベルリン芸術大学にてディプロム・トーンマイスターを取得。フリーランスのサウンドエンジニアとして20年以上の経験を持ち、特にドイツの公共放送 ドイチュラントラジオ•クルトゥーアDeutschlandradio Kulturでの放送中継や、外部レーベルとのコ・プロダクションによる原盤制作のプロデューサーとして活躍している。これまでにさまざまなジャンルや時代を網羅する録音作品を制作しており、国内外において数々の賞を受賞している。


アキ・マトゥッシュ Aki Matusch 
2011年ベルリン芸術大学にてディプロム・トーンマイスターを取得。トーンマイスターとして各種レーベルの原盤制作や放送中継の分野を中心としながら主にベルリンで活動している。





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