December 10, 2004

SANKENマイクロホン Mr.KOBAYASHI 中国サラウンドセミナー

中国サラウンド事情 By 小林実(三研マイクロホン)

2004年も押し迫った12月中国での代理店セミナーをかねて北京CCTVのサラウンドチームと上海OTVへ訪問する機会があったので報告する。


G社中国代理店でのセミナー
北京の三研中国代理店G社で12月1日社員の人々に対してサラウンドセミナーを行った。
その前日11月30日夜、北京の空港に降りた私をG社のSong君が迎えてくれた。私はてっきりこのままホテルにチェックイン、ゆっくり中華料理などを、と思っていたのが甘かった。その足でそのままG社に行きましょうとSong君。G社に着いてみるとPyramix、5.1スピーカーがセットされ、「今からテストしましょう。」ということになった。レベルあわせから始まり、当社CUW-180サラウンドマイクのテストを行った。
G社の多くの人々が居残っており、皆眼が輝いている。私もなにやら勇気が出てきてテストを敢行。その夜10時くらいまでかかって、ようやく準備完了。
翌12月1日、G社では会議室でセミナーを開始。さっそくCUW-180サラウンドセットで実験。Pyramixの前段でマイク4ch分を、シグマのミキサーに入力し、1chをPyramixのMic Inputに入力し、サラウンド再生を行った。15名ほどが集まり、熱心に私のプレゼンテーションを聞いてくれた。プレゼンのあとは5.1サラウンドの音を試聴。
日本から用意していったDVDをかけた。これは実際にCUW-180セットで野外録音したものをAC-3エンコードしたDVDである。
迎えにきてくれたSong君が通訳をしてくれた。
G社は中国のなかでもプロ用映像、およびオーディオ分野で1,2を争う企業である。プラニングから設備工事、販売まで手がけている。
中国各地に13の支店を持ち放送局から機器のプラニングから設置、配線までを全て請負うとのことである。
中国は現在2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博に向かい国家として世界に認められるようになりたいとの意識が伝わってくる。各放送局も例外ではない。各省に放送局がありそれぞれ現在設備投資を行っているとのことである。

CCTV 中国中央電視台


12月1日午後からCCTVを訪問。2002年8月に一度CCTVを訪問しているので、今回の訪問は2度目である。CCTV内に作られた5.1サラウンドスタジオでプレゼンテーションを行う。CCTVではまだサラウンドの放送を流してはいないが、その時のためにエンジニアがサラウンドのミックスを訓練できるようにと5.1サラウンドスタジオを作ったとの事。熱意を感じる。CCTVでは音声部長 Li Feng氏がサラウンドスタジオを空けておいてくれて、そこにAudio Div.の若手エンジニア Yuan Xuecheng, Wei Huan, Gong Miao各氏が集まり 当社CUW-180サラウンドセットについて、ならびにサラウンド全般についてプレゼンを行った。CCTVのAudio Div.のエンジニアは皆すごく勉強熱心。ひとことも私のことばを聞き逃すまいという気迫に圧倒される。CCTVとしてサラウンド放送はまだ行っていないものの、実験として5.1サラウンド番組を制作している。サラウンドスタジオは現在2つある。
訪問した部屋にはEuphonixのSystem-5 コンソールが置かれ、DynaudioのM-3モニターが前方スクリーンのうらにL,C,Rの3個、リアにLS, RSがレイアウトされていた。(スクリーンは上下可動式)LFE のみGenelecであった。操作画面のメニューが中国語なのは、なぜかとても面白い気がした。CCTVではやはり2008年のオリンピックの時のために世界の放送局に対してHD映像と音を提供できるようにしておくことが目下のところ至上命令である。現在新社屋建設のための準備が着々と進んでいた。サラウンドのマイクセッティング法として、FUKADA-TREEやHAMASAKI-SQUARE等も紹介、全員非常に強い興味を示してくれた。CCTVでは「故宮」というタイトルのドキュメンタリーを制作中とのこと。
CCTV終了後オーディオスタッフにお礼を述べて、上海に移動するため北京空港にむかう。
北京での車での移動はちょっとスリリング。わきから歩行者、自転車、バイクそれにバスがどんどん飛び出してくる。それらにあたらないように、蹴散らして自動車が行く。車線変更おかまいなし。クラクションはあちらこちらでけたたましく鳴り響く。同乗しているとちょっとこわい。この夜はあいにく北京の冬独特だという白い霧。前がよく見えないのだ。
「これでは上海行きの便は遅れるかな」などとSong君が言っている。
案の定、北京空港に着いてみると上海便は「遅れ」の表示。カウンターのあちこちで大声でしゃべっている人々の声が喧嘩に聞こえる。
ようやくひろーい食堂があったので、入って腹ごしらえをすることにする。
大きなスペースにたくさんのテーブルがおかれさまざまな人種の人々が食事をしている。
欧米人の数も割りに多い。 定刻から2時間遅れでボーディングしたのだが、飛行機にのりこみ座席に座ってから、さらに2時間とびたたない。離陸しない飛行機の中でドリンクサービスが始まる。妙なかんじ。上海に着いたのはなんと午前1時だった。

OTV 上海東方電視台

上海OTVは上海Media Groupの一員であり、現在三研のCOS-11を80本使っている顧客である。上海OTVはいくつかのチャンネルを所有し、それぞれ専門番組を放送している。
COS-11を大変気に入って使用している。上海OTVではChief of OTV Technical Sectionの Chen Enyan氏とTechnical Center のShen Jianqing氏が応対してくれ 様々な事柄について話すことが出来た。 ここでもサラウンド放送に興味を示してくれ、ハリウッド映画方式、すなわちモノ音源からポストプロでサラウンドを極めて人工的、油絵的に作り上げていく方法、またHD放送方式、ライブでサラウンドを「録り」の段階から行う方法、クラシック音楽のような「インドア」でのマイクアレンジ、スポーツ(この場合ポストプロを行う時間が無い)やドキュメンタリーのような「アウトドア」でのマイクアレンジと話は進んだ。特に「アウトドア」ではEasy to carry, Easy to setが重要との結論に達する。
上海にはもうひとつ上海TVという大きな局があるのだが、今回時間の制約で訪問できなかった。

中国市場
今回はG社の人達が非常に協力的で2つの放送局訪問もスムーズにことが運んだ。
立派な高速道路、高くそびえるビル群、自動車の数はいままさに急成長している国家、中国を感じる。13億人といわれる人口は今後さらなる成長した時には世界の大市場となることは容易に想像できる。
欧州、米国各社が中国に売り先を求めて乗り込んでいる。
今回はメーカーとして代理店と共に放送局を訪問したのでG社の人々からは非常に感謝された。翌朝は成田に帰るという短期だったため、その夜G社上海支店のSong Xiao Lu氏とGo Ei Kai氏 それに Song君と食事をした。彼らは率直というより結構客観的で 靖国問題に話が及ぶと「我々は感情的には何も思ってないんです。ただ小泉という人はへたくそだなって思うんです。」と言っていた。「だって何も今 総理大臣というFunctionで靖国に行って外交をことさらやりにくくすることはないんじゃあない。Functionが終わってからゆっくり行っても手遅れじゃないし。」ときた。さすがに、したたかによく見てるなーと感じた。私も昔日本には文字が無かった、中国から借りてきてから記録が残せる言語になった。とか中国は昔の日本にとって先生で、留学生団として遣隋使、遣唐使を送って知識をもらったんだ。などの話をして少し盛り上がった。
2004年は7月にも今回と同じようにイタリア代理店とRAI(イタリア放送)にてプレゼンテーションを行う機会を得た。今後もこのような地道な活動を続けていきたいと思っている。世界に向けて情報発信!

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December 5, 2004

第19回サラウンド塾 サークルサラウンド方式によるFMサラウンド制作

By Mick Sawaguchi 沢口真生
2004年12月5日
テーマ:サークルサラウンド方式によるFMサラウンド制作について
講師:仁平、川島、野川(T-FM IRIS)

沢口:2004年12月の寺子屋はT-FMが取り組んでいるサークルサラウンド方式によるFM サラウンド制作について技術局仁平、川島さんと自然環境音でマルチチャンネル制作を行っている野川さんの講演とデモを実施しました。以下に概要を報告します。


仁平・川島:T-FM の仁平・川島です。今日はT-FM の録音スタジオIRISが2004年8月に更新したのを機に5.1CH サラウンドスタジオ対応とし、あわせてブロードバンド放送も可能な設備としました。T-FM では現状のアナログ2CH放送でも5.1CH放送が可能な方式としてサークルサラウンドという方式を採用しています。


主な制作は毎週 木曜日 19:00~19:55 「ライブデポ」
TFMホールでのライブコンサートをFM放送およびブロードバンドで生放送
毎週火・金曜日 12:30~12:50 「インフォシエスタ」 http://www.iiv.ne.jp/siesta/
ブロードバンド iivチャンネルで生放送です。これ以外にも
・TFMホールでのコンサート収録
・音楽レコーディングスタジオとしての使用
・映像収録スタジオとしての使用
・外部収録コンサートのトラックダウン
・5.1ch番組の完パケスタジオ 等 
などがあります。ではこれまでのサラウンド制作例をデモでお聞き下さい。

1.これは2004年8月1日に放送したサーカー中継です。
国立競技場 FCバルセロナ vs 鹿島アントラーズ戦をJFN38局フルネットでオンエア。
2.3セグメント地上デジタルラジオ Vioce98にて5.1ch番組を制作
*「トリオリベルタ」みなとみらいホールコンサート
*二期会マイスタージンガーズ スタジオ録音
これらは出演者のみなさんも色々なサラウンド音場の効果を実験したいという意欲と我々技術との共同実験で様々な配置や収録を試みる良い機会でした、
・ JET STREAM 1万回記念DVD制作 


これまでのサラウンドMIXで感じたことは以下のようなものです。
・ステレオ放送との互換性
→音楽ミックスにおけるリバーブ、リア成分の扱い。これはステレオにダウンミックスするとどうしてもリバーブ感が薄くなる傾向がありどちらでも気持ちの良いバランスを研究中です。
→ステレオ放送における完全逆相の防止。これはサークルサラウンド方式の宿命でリア成分は逆相として記録しているためステレオ再生ではキャンセルされて聞こえなくなることを防止しなくてはなりません。
・マトリクス方式の運用
→完全には再現できないパターンがあるため、実際にやってみて再現するものとしないものを経験則でノウハウを積む必要がある。(チャンネル間の早い音の移動等)
・5.1chミックス全般において
→ナレーションレベルのバランスの難しさ(背景音とのトレードオフ)
・今後の課題
→リスナーの聴取環境の把握。(デコーダーの設定として最適なセッティングを決定する必要あり)
→Circle Surround-II モード設定の問題
→番組制作時間のスマート化、制作設備の拡充
→番組出演者の理解の必要性

仁平:では次に、元T-FMのディレクターで現在は、自然環境音の収録から制作を行っているフィールド ストリームの野川さんを紹介します。野川さんよろしく!


野川:フィールドストリームの野川です。自然環境音によるコラージュという取り組みを仕事にしていますがこれらは私自身が全国各地にロケーションを行いそれらを組み合わせてマルチチャンネルのコラージュとして各地の博物館や展示資料館、プラネタリュームなどで再生しています。建築業者との仕事になるので素材を仕込んで後の最終バランスは実際の現場で行っています。建築業者の方々はオーディオ機器に対してはまだ聞こえればいい?といった認識が多いので機器の選定段階から十分な意見を出し合わないといい音環境が構築できません。収録機材はノートパソコンにNUENDO+RME/MULTIFACEをインターフェースとし4-CHで録音しています。使用するマイクはEARTHWORKS.ノイマン.サンケンCUW-180等です。バッテリー駆動で小型軽量なセットとしています。

本日のデモは私が永年取り組んでいる沖縄 竹富島をテーマにした5.1CHデモです。まず竹富島のイントロから集落の朝の風景、春の浜辺、スコール、あばあの機織り、夕暮れの祈り、ガーリーの祭り、深夜の浜辺でトータル30分ですのでお聞き下さい。

参加者からは、自然音だけのサラウンドの世界に音楽とはまた異なった新たな魅力を発見!(了)

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December 1, 2004

第117回 AESコンベンション キーノートスピーチより A&M社長 R.Fair

By RON FAIR 抄訳:Mick Sawaguchi 沢口真生

これは、第117回AESコンベンション サンフランシスコでのオープニングキーノートを行った現A&Mレコードの社長RON FAIRSの講演内容を抄訳したものです。音楽業界の立場からの彼の視点として参考にしてください。

まず、私の生い立ちからお話しましょう。現在はA&Mレコード社長という職にあり、毎日24時間7日にわたって様々なレコードプロデュースをてがけ椅子の前にはKRKのモニタースピーカとアンプと電話があります。作曲やアレンジも行いますが、重視しているのは多くのミュージシャンの音楽を聴くことです。こうした仕事の背景になった私の生い立ちは大変おもしろいと思います。

わたしの祖父はポーランド移民で役者でした。まずニューヨークで芝居の仕事をしていましたが、その後1940年にL.Aに移住してからは、
「ユダヤの時間」というラジオ放送をてがけました。これは毎日毎週5日間の定時放送でその後26年間も続けました。
この制作のために自宅の裏庭に自前のスタジオを建設し、AMPEXを中心とした設備を備えていました。
私が2歳の時「これらで放送を始めよう」とスタートしたのです。そこで私を膝の上に載せ録音したりしました。こうして自然と録音という世界に浸っていったわけです。
私の家族は、私を除いて全員クラシックの演奏家でした。でも彼らは、私がその世界へ入ることは望みませんでした。
でも私は音楽を愛し、音楽制作をやりたいと考えていました。それでピアノとギターを勉強し始めました。
なかでも私の姉が持っていた J.コリンズ・J.ミッテェル・バーズ・B.ディランといったレコードから大きな影響をうけ、クラシックとPOP音楽の感覚を身につけることができました。
裏庭でギターを演奏している10代に隣にいたドラマーが、16歳でABC音楽出版と契約し、そこへ一緒にいくうちに保管庫にある膨大なすばらしい音楽と出会うことができました。スティーリーダン・ママ&パパス・テリーギブス・ファラオサンダース・フレディハバード・等々。こうしてPOPSやJAZZなど多くの音楽と接することができました。
当時POPSミュージシャンはロングヘヤーでしたが、私はビルエバンスやチェットベーカといった音楽が好きでしたので、ショートヘアーで通しました。

高校では、コードに興味があったので、ハーモニーの勉強をしました。友人が小さな録音部屋と機材を持っていたのでそこでトイレの掃除からコピーまで何でもやり、夜になると友人を呼んでデモ録音を繰り返し、レコーディングの世界へ入っていきました。それからは、いくつものレコード会社を訪ね職を探し、ユナイテッドアート音楽出版の録音エンジニアとなることができました。20歳の頃です。ここでは8トラック録音が行われており、3時間で3曲のデモ録音を行うという仕事をやりました。一日では計6曲を録音しているスケジュールです。しかし、いずれはプロデューサをやりたいという思いはこのころからありました。1981年に念願のA&R担当にRCAレコードでなり、たいしたヒットをだすことなくCHRYSALISレコードへ移り、そこでGO WESTと契約し世界的なヒットを生み出すことができました。ロンドンとの関係もできたことからISLANDレコードの国際A&R担当となり、その後EMIへ移り再びアメリカへ戻りました。こうして多くの会社を異動しました。
EMIでは映画「プリティウーマン」のサウンドトラックを担当しました。正直いって私は、創造的な的を絞ったレコードを作りたかったので、サウンドトラックのようなごった煮的なレコードは乗り気ではありませんでした。しかし、これは世界で7百万枚も売れたのです。EMI時代は、多くの有益な経験を積むことができました。その後RCAへと異動し、そこでCHRISTINA AGUILERAと出会いました。私は、こだわりを重視した制作スタイルをとっていたので万人とうまくいくわけではありませんが、その呼吸が出会うと花が開くというわけです。かつての名門A&Mレコードとの出会いがそうかもしれません。

もう一人、私の人生に大きな影響を与えてくれた人物を紹介します。BILL CONTEです。彼とは低予算の映画録音で知り合いましたが、
彼は「君は、少しミュージシャン、少しアレンジャー、少しエンジニアだ。だからプロデューサがむいているよ」と言ってくれた人物です。彼との仕事は「ロッキー」の映画音楽録音です。「君はスコアが読めるからここのエンジニアにトランペットが鳴るときにハープを絞るタイミングを教えてくれ。時間$20でどうだ」といわれました。3時間のセッションで$60もらいました。1977-78年にかけての彼との仕事ロッキーで私は映画音楽の世界を知ることができ、そして、私の初めてのゴールドレコードとなりました。

最近の音楽は、あらゆる面で変革を遂げたといえます。苦悩と痛みそしてさらなる困難という局面も否定できません。しかし、一方で明るい未来も見えています。ファイルという感覚で扱う音楽。。コピー問題、いまや音楽は持ち運びでき、扱いやすく、ダウンロードという手段で再生することもできます。このことで違法なコピーが充満し、我々が多くの音楽家と契約し、レコード会社を運営し、多くの従業員を雇用し、高価な機材を購入し、映像も制作し・・・といった一連のワークフローに変化を与えています。私が一番の関心事はコピー問題です。一枚CDを買えば、たちどころに25枚のCDが自宅で焼ける時代です。

もうひとつの問題は、音楽的に高度な教育と高い芸術性の確保です。
かつては、居間にピアノがあり、レッスンを受け、ライブハウスではバンド演奏していました。今はこうした音楽環境が消え去り、ガレージバンドがテクノロジーを駆使して音楽が可能な時代です。この恩恵も否定はしませんが、磨き抜かれた芸術表現とは無縁です。
手軽に音楽が制作できることのデメリットもあります。ここL.Aでは、かつて毎日5つのスタジオオーケストラが録音していました。今その仕事はシアトルやプラハ、ロンドンへと移動し映画の音楽録音で構成されていた一連のワークフローは分裂し、200名もの職がなくなったといえます。

FCCなど政府のメディア規制も問題です。ジャネット ジャクソンのカメラシーンに過剰反応したメディアは次回のグラミー賞の演出をどうするか、頭を悩ませています。ヨーロッパからみれば「なんとせせこましいことに無駄な時間と金を使っているのだ!」と見られています。

音源の保存についても考えなくてはなりません。多額の投資を行って制作された多くの音楽は、膨大な記録と様々なタイプの音源が残っています。その記録方法は、数年おきに変わっています。ここ10年・15年・20年さき、どう対処すればいいのか検討もつきません。

明るい面も述べなくてはなりませんね。アップルがI-PodやI-Disc I-Tuneなどで奇跡的な復活を成し遂げたように、我々もロンドンで仕上げたMIXがAIFFファイルで受け取り、15分後にはMIXがここL.Aで完成するといった驚異的なフローができました。
5.1CHサラウンドもそのひとつでしょう。いまや家庭で音響空間を享受できるようになりました。リハーサル.COMという私の友人が立ち上げたサイトは、今人気です。その理由はリハーサルスタジオでリハーサルしているミュージシャンのLIVE配信を見ることができるからです。とくにグラミー賞や大きな授賞時期の前になると、大物ミュージシャンがここで行うリハーサルはファン必見となります。
衛星ラジオも新たな動向の鍵をにぎるでしょう。

音楽は、日常の空気のような存在となり、いつでもどこでも広範囲に楽しめる存在となっています。電気や水道のように・・・音楽という大きなパイプが家庭へ配信され、そこで聞きたい環境に応じて様々な形態で再生することが可能で支払いは、電気やケーブルTVと同じ感覚で曲単位ではなく毎月の固定料金例えば月$12とかで支払われる時代でしょう・・・
すばらしい才能のアーティストも続々と登場しています。

レコード会社は、SONY/BMGが合併し、残るはWAENER EMI UNIVERSALのみとなりました。
でも音楽を愛し制作をする優れた人々は存在しています。音楽を愛し世の中に紹介しビジネスすることに喜びを持った人間です。
新たな方向と新しい道を造るための挑戦へ挑むひとびとへ輝かしい未来を確信しています。(了)

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